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生の孤独さの中で

 近頃は、近代的個我を本当の意味で超えるには、と考えていて、二日に一度くらいひどく閉塞した気分に襲われるのだが、やはり芸術の持つ孤独さという本質は手放すことはできない。生の孤独さと言うべきか。近代的な「私」でなくても、私は淋しい。作り手は淋しい。享受者がいても歴史になっても淋しい。
 同時に、芸術をする人間の自立、ということも強く意識させられていて、自分が果たして自立しているのか、という課題も重く感じる。芸術をする人間の自立。生の自立。作品も、作品をあらわす場も自分の力で生み出して、そのすべてを自分で引き取る覚悟。

 生が芸術だと、高見順は火のように声をあげてその生を全うした。生が芸術になる時。芸術が生になる時。孤独さが屹立する時。自立する時。孤高に達した芸術家と、「芸術」をやることをあえて求めない、物静かな人の人生にそれはよく宿っている。

 不思議なことに、人生は戦いにもよくたとえられる。高見順も文字通り「文士」として戦おうとした。戦って戦って戦って、最後に孤独な生を得る。まことに生は壮絶だ。でもそれは、素晴らしいことではないか。戦う時は実に人間前向きだ。自分自身で、戦うべきところを決めて、退かない。

(2015.5.14)

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近代的個我の行末と小説

 戦前昭和の文芸批評家・矢崎弾は、1930年代の高見順の作品について、ほろびを自認せざるをえない、名残惜しげなる自己執心のなげき、と言葉を寄せている。「如何なる星の下に」は、高見の小説のタイトルであり、樗牛の詩の一節である。それは近代的個我の出発と終焉に対応している、と。
 矢崎の言うよう、近代的個我は、本質的には30年代にすでに滅びをむかえていたと思う。しかしそこからは長かった。「名残惜しげなる自己執心のなげき」という言葉は、この世紀にこそ実感として強く感じるのだ。我々は自己の限界というものに至るところでぶつかりながら、なおも自己を捨て切れない。

 我々は自己を起点として良いのだとは思う。近代の最後にいる、我々の生の条件だと思う。しかし何処かで、ついに手放す勇気がいるのだろう。無論それは、先の「超克」の悲劇のよう、国家や社会に回収されるようなものであってはならない。そうではないあり方が見えないから、我々は苦しい。

 30年代から引き続く、ポストモダンの個の解体に、我々は満足したであろうか。亀裂は大量に入ったが、結局のところ、「社会」でとりあえず空隙を埋めた感がある。個我は解体し尽くされてはいない。我々が未だ、こんなにも自身の存在を嘆いているように。つまりまだ近代は続いている。

 この最後の嘆きと苦しみの叫喚の中で、次の世界はあらわれるのだろう。半世紀くらいはかかるかも知れない。実は最近、「小説」もきちんと終わるべきかな、と思っている。個の光芒のすべては小説とともにあった。小説も終わりをむかえている。ここから、小説ではない何かが始まるはずだ。

 小説をやってきた自分がこういうことを本気で考えるのは身震いがするのだが、潜在的には誰もがわかっている気はする。どれほどの実験を試みても、小説は小説であった。自己を解体し無下に扱おうとしても、自己はからみついていた。どれほど自由に書かれても、この世紀に書かれた小説は小説であった。
 歌にせよ叙事詩にせよ、小説とは全く違った文学というものを、我々はいくつも知っている。これから始まる何かは、何と呼ばれるべきものであろうか。泡のような皮相な新しさではなく、深く存在を根底から変えていく、そんな文学がもうすぐ見えてくるのであろうか。陣痛の五十年。百年。

(2015.4.19)

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上の世代に媚びる研究

 人気を取ろうと若い世代に媚びるような真似はするな、とはよく言われるが、逆に権力をもった上の世代に媚びるような研究はするな、ということも言える。ある世代にとって耳障りのいい言説、研究というのはあるのだ。まるでその世代の好悪に寄り添い、問題性を仕方ないものとして肯定するような。

 研究者に過去の人間を断罪する権利はない。歴史である限り存在はすべて肯定しなければならない。歴史である限り、だ。現役の権力者は過去の存在ではない。よもや若い世代が、上の世代の研究者の価値観に全面的に同意している訳でもあるまい。ではなぜ批判しないか? なぜ肯定するようなものを書く?
 いや批判も書いているのだろう、しかしそれは上の世代がすでによく自覚していた自己批判である。だから下の世代に急所を突かれたという意識にはならない。自己批判劇の共犯に使われているに過ぎない。よくできた後輩なわけだ。

 研究は正直、上の世代との対決を完全に喪失しており、上の世代の作った枠組みの中での細かな縮小再生産に入っている。まさしく読まなくてもわかるものだ。論争など起こるはずもない。上の世代は満足していることだろう、下が自分を超える研究を全くする気配がないので。普通は失望するものだが。
 若い世代の、先行きの不安さがそうさせるのか、従順なのか、はたまた自身が権力を握るまでとひそかに狙っているのか、それは知らないが、何にせよ面白くない現状である。新しいことをやろうという人間が、上の世代に優しく寄り添ってどうする。しっかり喧嘩して初めて存在意義がある。

(2015.4.16)

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人文系の学問の意義

 さてすっかり、今の日本は高等教育機関における人文系教育系学部削減の方針となっている。あちこちで動揺が広がっているわけだが、人文系の研究者も正しく自分の学問の意義を考えるべきだろう。自分では価値があると思っているが、社会がそれを認めない、と嘆いて終わるのでは情けない。

 人文系削減の方針の根拠にあるのは、ごく単純で、社会生活の実践力に乏しいという論理である。率直に言えば何かに直結する「労働力」ということだろう。だから歴史の教員のような「専門職」に就く人間以外必要がない、となる。しかし歴史の教員を作ることができるから歴史の学科をおく、というのは虚無である。
「歴史の教員」という職業がとりあえずあるから、そのために歴史の教員を作る、という発想はあまりに空疎である。なぜ歴史の教員が社会に必要なのか、なぜ歴史学が社会に必要なのか、そこを考えずにどうして職業の話にできるのだろうか。ひどい話だが、当事者もよく忘れたかのような発想に陥っている。

 人文系の学部は専門職に直結しなくても、もちろん存在する意義がある。いやそもそも、存在しなければならない。その学問を学んだ人間が一定数社会にいることが、社会を健康にする。健康にしようという動きは、時には何か病める形のように見えるのかも知れないが、人文系の学問は本質的には実に健康だ。

 言うまでもなく、人文系の学問はあらゆる学問の中で、最も原理的な思考をうながす。社会が不健康であるなら、その根をちゃんと突きとめようとする。不条理を不条理と自覚することができるし、その次には違うあり方があるのではないか、と考えることができる。どれほど重要なことであろうか。
 人文系の衰弱とともに、見事に社会は病的な構造の繁茂になっている。誰も手綱をとらない。とれない。目の前の枝葉を必死で刈るだけだ。誰も根のことを考えない。それで消耗して終わる。我々は根のことを考えられる人間をちゃんと何人も育てるのである。それが人文系の教員の矜持だろう。

 もちろん、人文系の学部を出なくとも、人文学的な思考をする人たちは必ずいる。それは本当に貴い人で、そういった人の方が大切な担い手と言えるかも知れない。しかしかの人たちに人文系の教員が頼っていい訳がない。それこそ怠慢ということだ。何をしているんだ、という話だ。

 ひとまず、文学なり歴史学なり人文系の学科は残っている。教員は人文系の学問が果たすべき役割を、ちゃんと教えられているであろうか。そこは自己批判があるべきである。知識や技術は正直二の次である。原理的な思考ができなければ、人文系を学んだということではない。
 細かな大量の知識を持っていても、歴史とは何か、なぜ歴史を人は描くのか、なぜ歴史を我々は知るのか、それを考えたことのない人間は、歴史科を出たということにはならない。文学科とて同じことだ。ごく当たり前のことだが、研究者がその問いを忘れている感がある昨今である。好事家は学問ではない。

(2015.4.14)

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地方に文学があるとは

 この週末、久々に東京に少しだけ行く機会があって、色々と思うところがあった。十年くらい前とはだいぶ違う印象をもった。自分の変化か、東京の変化か。実際に首都圏に在住している人は「東京」と一つに括られることに違和感をおぼえるだろう、しかしそれを含めて東京だとも思った。

 文学は東京にあるのか。あるいは学問は東京にあるのか。かつてはあると思っていた。だが今はそういう気はしない。文学は地方にあり、学問は地方にあると言おうというのか。それも違和感がある。地方にもそんな宣言をする力はないようだ。せいぜい「東京」からずれた価値を示すことに留まっている。

 歴史的にみれば、同じ土地で延々と権力を集中させれば、思想も文化も停滞することは明らかで、移行する時をむかえていることは疑いない。しかし我々はその移行期を自覚的に受け止めることはできるのだろうか。「ここに来い」と言えるのかどうか。あるいは「ここにこそ文学がある」と。

 地方に文学がある、学問がある、というのは、やはりその風土性に抜き差しならない重要な哲学性をみとめたとき、言えることである。だから当然すべての地方ではなく、「ある地方」になる。そしてそれは土地にねざしながら、土地を超えた人間の根幹に関わるものでなければならない。

 1970年代くらいまでだろうか、戦後、地方の文芸活動は非常に活発であった。20年代に並ぶ同人雑誌の時代でもあった。北海道は特に勢いがあって、「北海道文学」という言葉が好んで使われた。その言葉には、中央の作家を超える哲学を北海道の風土性から生み出そうとする強い意志があった。
 「カインの末裔」の直系とも言える哲学の生成を願って、少しも中央に対して卑屈になることがなかった。本州を振り返るのではなく、さらに北方を見るような強靭な人間の哲学。一つの地方文学の理想があったと思う。今は残念ながら失われてしまったようだ。作家や学者の大半は東京を向いている。

 風土性というのは、あまり和辻の概念に引っ張られたくないが、言わば自然と歴史の連続体である。それは土地を離れても絶対的に引き継がれるものではなく、その土地に入ればどの人間も少なからず影響されるものである。私は北海道の人間であるが、関西の人間でもあり、瀬戸内の人間にもなってきた。
 今は瀬戸内にいるので、ここから優れた強い哲学がみえないかとずっと考えている。瀬戸内は数千年に及ぶ人間の旅の道があって、海や島の意味がすごくよくわかるのである。ひるがえって山の意味も感じる。この地にある哲学は相当なものだ。だからこそ近代の文学とは違った何かが見えそうなのである。
 それが見えるのは随分先になるだろうが、何にせよ、我々は「ここにこそ文学がある」と言えなければならない。「文学はどこにでもある」と言うのも間違いではないかもしれないが、「ここにある」と強い意志で言えなければやはり文学は生まれない。ゲーテは田舎町ワイマールを選び、文学の中心を作った。

(2015.4.13)

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ムーサと共に

「若者よ、心高まる若いうちに、/しかとおぼえておくがよい、/ムーサはともに人生をあゆむとも、/きみを導いてはくれぬことを。」(ゲーテ)

 なかなか苦い詩であるが、引き受けねばならない詩でもある。ムーサたち、文学も芸術も学問も、私たちの人生と共にあるが、どのように生きていけばいいかは、教えてくれない。そう、文学に魅入られても学問に魅入られても、自分で生きていくしかない。生きる標は自分で探していくしかない。

 芸術も学問も、目指す生きる道があるよう私たちは錯覚してしまうが、ゲーテが言うよう、本当は無いのである。ムーサはずっと悲しくも先頭歩く自分と同じ歩調で、そばにいる。ムーサはどれほど愛情をかけてもどう生きればいいか何も教えない。しかし人が生きるために格闘する最中、ずっとそばにいる。

 生きるための無様な格闘というのが人生には圧倒的に多くあって、そういう時はムーサに最も隔たっていると惨めな気分になる。だがムーサは側にいる。学者は学問では食べていけないし、文学者は文学では食べていけない。別に恥じることはない。内なるムーサに背を向けずちゃんと生きていけばそれでいい。

(2015.3.24)

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大衆と戦う

 時代は悪い。が、学者が個人として時代に相対しているかどうか。大衆性と真の意味で手を切っているかどうか。「学者」だから「大衆」ではないとは決して言えない。今や大衆はつねに己の内にある。大衆はどの個人でもない。どの人間でもないのに、我々を逼塞させる。この大衆と本気で戦えるかどうか。

 大衆性をまるで退けられない、それが現在の日本の知識人の弱さだと思う。ゲーテがここまで書くよう、大衆性を受け入れるかどうかは限りなく一かゼロかの問題であって、間はないと言ってもよい。一度わずかでも許すとあっという間に腐食を引き起こす。仮初めの馴れ合いで済むものでは決してない。

 私は沢山の人の前で教壇に立つが、「大衆への教育」を一度もしたと思っていない。ずっと個人への教育であったし、これからもそうだろう。大衆相手に学問しろ、芸術しろと言わんばかりの昨今だが、どうして誰でもない大衆を相手に話したり書いたりしなければならないのだろう。

 無名の人と大衆は全く違う。知識人は、無名の人を愛し、大衆を退けなければならない。まずは己から。私は本当の意味で知識人が成立することが、今、どうにも必要だと思っている。目に見える「権力者」を批判する前に、知識人の弱さ、学問の弱さ、芸術の弱さ、自分たちに巣くう弱さを見る必要がある。

(2015.3.3)

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ゴダール「さらば言葉よ」

 遅ればせながら先日、ゴダールの「さらば言葉よ」を観た。とてもいい映画で、もっと上映される街が増えることを願う。ゴダールのような映画が来る、というのが、本当の意味で地方を豊かにすることだと思うのだが。

 けれど自然の美しい土地なら、犬を連れて川や森の間を歩けばいい。犬がさぐりあてる草の露のにおいに、同じ世界を見るだろう。北方の自然だとなおいい。スイスの青い湖の小道は、北海道にもよく似ていた。

 映画が自然に近づいていく。自然が映画に近づいていく。私はゴダールが非常に明晰に自然に対する思想を語ってくれているように思ったのだった。次期の人間のあり方、とも言うべきだろうか。

 現代の哲学は依然として、他者という問題の周囲を回っている。他者とは人間の他者だ。けれど人間の他者の向こうに、本当の大いなる他者、自然がいる。精神と自然はどう結びつくのか。私たちはまだ答えがない。

 言葉は最も非自然的なものである。どうやっても隠喩でしかない。文学者の苦悩はずっとそこにある。我々は言葉を重ねても重ねても永遠に自然と出会うことはできないのだろうか。言葉は、あるいはかくも非自然的な芸術のすべては。

 否。印象派の絵画が率直に示しているもの。それは画家が自然と出会った瞬間である。画家の眼から光が放たれ、夕暮れの水の光が画家の眼に射しこむ。芸術家と自然は共に歩み寄る。これが次期の人間のありようなのだろう。

 映画の中盤に満ちる、モネへとつながる言葉が、来たるべき芸術の姿を明かしているように私は受け取る。

 社会が衰弱してくると、人間は人間のことばかり考えるようになる。人間の他者は他なる存在の半分でしかない。芸術も哲学も、半分のことしか描けなくなっている。社会を立て直すまでは、と必死になるが、そうした善意は芸術家としては脆弱なのかも知れない。

 老ゴダールの健康さは、惜しみなく最期に来るべき課題にひらかれていて、圧倒されるのだった。

 ゴダールは、反「物語」、反「統一」として語られることが多いが、私は逆に彼の映画はいつも、一つのもので貫かれていると考える。膨大な引用、イメージの飛躍、たしかに観る他者には「切断」や「飛躍」に思えるだろう。けれど彼にとっては、それは自然のつらなりだった。

 私たちの生は、一つの想起の連続である。あの森を見て、あの詩が浮かび、歴史を思い、今の自己の悲しみに触れ、女や男を思い、また湖を見る。精神が自然に向けられるとき、世界は火のように眩しく浮かんだり、焦点がおぼろにあわなくなったりするのもまた、自然なことなのだ。

 そこにあるのは一人の人間の自我で、彼はずっとつらなる行為をしているから彼なのである。老映画監督の清流のような自我の流れを見て、私たちは大きく勇気づけられる。

(2015.2.25)

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感性主義の傲り

 どうにもならない閉塞された人生。その中での小さな癒し。その中での小さな美しさ。何にもならないけど、そこに祈りと癒しがある。……という小説はもうやめにしないか。最早紋切りだ。

 田舎の土着的な閉鎖性も、都会のキッチュな虚無性も紋切りだ。国内で人生経験を重ねていれば、現実は違うといくらでも言えるのに。正直「文学」をそういうものだと決めたがる、読者と作家の妄想の中にしかないのではないか。

 閉塞感はあるのだろう。所詮「我々は目の前のものしか見えない」と。しかし作家が全体を見ることを放棄していいはずがない。文学は世界観をあずかるのだ。「目の前のボタンしか見えない」ではいけない。ボタンが終局的に何を意味しているか洞察することが、本来の作家の仕事だ。

 狭い視野の人間を描くということは、当然その世界観を推奨するということである。虚構といって逃げられるものではない。どんな時代でも、作家はあるべき人間像を提示する役割を担う。本当にその世界でいいのか? 全てが動かず、癒しだけが残される、それが我々の望む世界か?

 小説家の悪い意味での抒情化が目立つ。あるのはどこにむかっているかわからない、瞬間の感性だけだ。気の利いている表現だが、だから何だ? というものが多すぎる。答えられず、結局、「美しいからいいんだ」、となる始末だが、いいわけない。そんな蚊柱のような「美」などいらない。

 抒情は相当に強力な理論体系がある時代にこそ力を持つ。「私の感性」などというものは、本来とても頼れない、物凄く脆弱なものなのである。そこに自覚がなく、「私の感性」だけで戦えると思い込んでいる「芸術家」は愚かである。

 天才的な感性がのびやかに活動していたように見えるのは、大いなる理論的な時代の後押しがあったからである。芸術家はその上で感性ということを言う。感性の内に抜き差しならない理論がある。

 近年、悪しき感性主義の「芸術家」たちの異様な傲りが目につく。彼らは理論を殊更に避けるし、「理論的に語ったら、感性が失われる」と嘯きさえする。そんな感性など最初から無いに等しい。

 一方、「理論」を語るようで、その理論をまともに追っていけば、「未決定状態に自分をおく」、「最後に感性的飛躍に賭ける」、といった理論になっていないものもよく見かける。最近理論家もいなくなった。思想解説者だけは沢山いるが。

 世界のひずみはいよいよ深く激しくなっていくし、我々は祈ったり慰めている場合ではないのである。立ち止まっても、いよいよ悪くなるだけだ。流されるのではなく、盲目的に進むのではなく、次の世界を本気で理論的につかんで進まなければならない。

 人の精神とひとつの言葉をつかさどる文学は、その役目がある。今、脆弱な感性に身をゆだね、立ち止まることは文学の敗北であり、人間の敗北になる。事は簡単ではない。しかし我々の時代の明確な課題である。その果てに、優れた感性が真に生きる時代も来るのだ。

(2015.1.27)

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次の世界、次の人間

 この時代が、この世界がどういうものであって、そしてこれからどうあるべきか、はっきりとつかむことが、芸術と学問の仕事である。もちろん政治よりもはやく。世界はこれからどうあるべきか。人間はこれからどうあるべきか。私たちは言わなければならないし、言えるようになりたいのだ。

 次の世界が見たい。次の人間が見たい。次の時代の曙光の内にありたい。こうした願いは強烈な生の推進力だ。自らの願いが、来るべき世界の奔流になってゆく、その歓喜。私たちに無いもの。私たちに必要なもの。

 巨大な歴史のあと、私たちは何かを目指すことをすっかり恐れるようになってしまった。変わってはゆくだろう、だがそれは自ら目指すものではない、と。学者も芸術家も、変わりゆく眼前の光景を追認するだけになった。学者の受動的解説、芸術家の受動的創作。何かを語り表現しても、そこには次がない。

 端的に言って面白くないのだ。インターネットの時代だ、新しい、加われ、とある種の人は軽々しく言うだろうか。そんなもの全く大した変革ではない。「個」が成立したような、あのもっと圧倒的な変革を私は見たいのである。これから二百年くらいかかったとしても。

 私たちの言語はまだずっと、近代の範疇にある。この言葉、この語り、表面的にあれこれ目くらましをしても、ずっと近代の言語の内にいる。そして近代の言語の可能性は、近代の作家たちがが実にやり切った感がある。だから根底から変えたいのだ。千年単位で文学を考えても、別に罰はあたらないだろう。

(2015.1.19)

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散文化の果てに

 私たちの叙事行為を覆っている膜があることを、感じられるだろうか。私たちは英雄の物語を書かない。英雄の物語を聞く人間の物語を書く。私たちは巫女の霊視を書かない。巫女の存在を仄聞する人間の物語を書く。私たちは狂人の確信を書かない。狂人の隣にいる人間の物語を書く。これは見事な閉塞だ。

 凡庸な人間・すなわち「私」に立脚しようとするのは、作り手が実感するようにリアリズムのためである。個物の存在を強力に肯定するリアリズム。英雄ではない自分にも意味があるのだと。それは世界の散文化といってよい。しかしながら、散文化の果てにいる私たちは、恐らく霧散の危機を迎えている。

 私たちはどこかで霧散しない理念を求めているが、理念に直接的に通じる人間を描くことができないというのは、不幸な事態である。英雄は歴史的存在として「歴史小説」で語られ、神秘は「ファンタジー」で語られる。現実にはどちらも存在しない。現実と歴史、現実とファンタジーは完全に切れている。

 少しでも理念に触れるかも知れない存在は、「〜を聞く(凡庸な)私」がただちに配置され、物語は入れ子構造になる。そうしなければ私たちは不安で不安で仕方がないのである。しかしこれは人間の叙事の歴史の中では相当な病理である。

「歴史小説」という枠を取り払って、現代の文学として歴史的英雄は書かれてよいはずだし、さらに言えば、現代とて、人間の理念を体現する英雄は書かれるべきなのである。19世紀の文学がなぜ強いか? 彼らは個である自分に理念を見た。漲る自信がある。我々はその勇気を完全に失っている。

 世界がすっかり散文化した現在、我々には霧散していく日常と、理念と引き離される苦悩と、反省的思考ばかりが残される。この現実は偉大な理念に通じていない。そして我々には歴史もない。現在の作家の最大の悩みは何か? 恐らく「書くべきことがない」ということであろう。

 自己表現としての文学、それは変わらず残っている。だが自己表現として終わるのは芸術の半分でしかない。他なるものを表現して初めて芸術は芸術足り得る。散文化する無数の自己のさざめきだけでは、やはり芸術はもたないのである。かつての古典主義に戻れとはいわない。だがそろそろ次の何かが必要だ。

 この間遠い膜を破ること。本当の意味で近代を超えること。パロディと自嘲の連鎖を断ち切ること。先の無い実践と、メタレベルに立つイロニカルな笑いから、私たちはもう踏み出す時が来ている。すぐに消費される笑いなど面白くない。すぐに消費される優しさなど物足りない。本気で戦う時が来ている。

 新しい文学の芽がどこにあるのか、ずっと探している。次の世代の仕事なのかも知れないが、やれるところまでやりたいのである。だから同志も沢山欲しい。

(2015.1.15)

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大いなる苦悩を

「馬鹿なことをしている」、なら、もう一段賢く。小賢しさに戻ることはない。小賢しさを捨てて、馬鹿になって、そして本当の意味での賢さが見えるまで。

 息苦しい日々だ。不愉快さは絶えず心身に浸食して、我々は両手で音も立てず掻きながら瞼を閉じ、必死で忘れようとする。これほど不愉快でありながら、一つ一つ言葉にすれば、何と狭小な苦悩。全く面白い時代ではない。我々だって大いなる苦悩を持ちたいものだ。我々の生だって大きくありたいのだ。

 より大きく、より強く、「生の拡充」とはまことにいい言葉で、我々が一日でふりまわされる事件など、大半本当につまらんことである。同じ日々の中で、大いなることを考えればいいのだ。そこからが解放だ! さっさと進め! 言葉で自分を高めろ! 我々も面白い時代を見たい!

 昭和初期のアナーキズム系詩人は、「詩壇のテロリスト」と言われた訳だが、実際言葉は最大の発破になる。人間は言葉で悩み、言葉で立ち上がるのである。

(2015.1.7)

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理念の喪失

 あらためて、新しい文学ということを考えている。私たちの気がついていない、しかしその入り口がひらかれれば、私たちが深く欲していたことがわかる文学。私たちの存在に真に届く文学。私たちは次に何が出来るのだろうか?

 小説があらわれたとき、私たちにひらかれた莫大な世界。個なる「私」があらわれたとき、始まった未曾有の世界。散文というあまりに激しい繚乱。それは実際新しかった。革命にふさわしかった。だが私たちは、その時一つ引きかえにしたものがある。理念だ。

 詩はずっと理念の体現だった。文学はずっと理念とともにあった。だが、散文性は、理念と袂をわかたざるを得ない宿命がある。散文性の爆発的な光芒ののち二百年、私たちはついに理念を失ってしまった。今や文学は理念を体現しない。理念の具象化としての英雄は描かれることはない。全ては個となる。

(2014.12.31)

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イロニーの先へ

 小説がイロニーだ、というのは、私には受け入れられない定義である。イロニーのような思考は、一番芸術が退けなくてはならないものだと私は考える。ルカーチを読み返すと、ますますその思いが強まる。

 イロニーは結局一種の思考停止をもたらす。また、明るい姿を見せたイロニーというのも実は多い。「これは現実には何にもならないけれど、自分が実践しているからいいんだ」という、思考停止した明るさ。よく芸術を志向する人間が陥る。その明るさだったら学問の方がよい。

 事は動かせるところまで動かさなければならないし、現実とは戦えるところまで戦わなければならない。思考は考えられるところまで考えなければならない。それで初めて、学問でも政治でもない芸術の強さがあらわれる。

 イロニーだって、苦悩なのだと言うだろう。しかし小説はやはり、イロニーの先に行かなければいけない。小説を宿命づける「イロニーでしか書けない」という前提は本当なのだろうか? 文学を疑い続ける現代の人間は、まずその前提を本気で疑うべきではないか。

(2014.12.16)

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大衆全体による独裁

「世界史には二つの時代がある。それがあるいは相前後して、あるいは同時に、或るときは個々別々に、また或るときは色々と入り組んで、個人や民族に現われる。
 第一の時代は、各個人が競って自由に自己完成に励む時代である。これは生成、平和、育成、芸術、科学、くつろぎ、理性の時代である。…第二の時代は、利用、獲得、消費、技術、知識、悟性の時代である。
 人々は外へ向かって働きかける。この時代が最高にして最も美しい時期を迎えたとき、一定の条件下においてこの時期は永続きし、人々楽しませてくれる。
 しかしこうした状態は、容易にエゴイズムや独裁政治に堕してしまう。この場合、独裁者を一個人と考える必要は全くない。きわめて暴力的にして抗いがたい、大衆全体による独裁というものもあるのだ。」(ゲーテ)

 己の中の大衆性と戦うことが、どのような権力者と戦うことよりも重要である時がある。独裁的な大衆の一人となった人間は、彼自身も不幸なのだ。

(2014.12.14)

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怒りの言葉

 いま、この社会の人に必要なのは、怒る力だと思う。ふさわしい時に、ふさわしい対象に、ふさわしい怒りを表明する力。気がつけば年々年々、人々は怒れなくなってしまった。あるのは内に溜まった怨恨と憎悪だけだ。そうではなく、高潔な怒りの表明が必要なのだ。人々は正しく怒るべきなのである。

 怒りとは、つねに何かのためにある。敬愛する存在のための怒りであり、大義のための怒りであり、真理のための怒りである。尊敬する人が軽んじられた時。子どもが軽んじられた時。文学が軽んじられた時。学問が軽んじられた時。真実が軽んじられた時。人は怒りをおぼえるように出来ている。大切な能力。

 優れた怒りの言葉は強く美しい。そうした言葉を我々は使う用意がなければならない。憎悪や怨恨を振り払って屹立する怒りの言葉は必ず他者に届く。局面も動かす。世界が言葉で出来ているというなら、なおのことだ。怒りの言葉が世界を動かすということを、多くの人々が忘れ過ぎている。

 理想を言っても他者が動かない時。理想を賭けた言葉で他者が動く時。前者の方が普通だと皆思うのだろう。けれど実感として、後者の方を私は沢山見てきた。真剣な言葉から、そんなに人は簡単には逃げられない。理想に賭けるのと同じく、我々も言葉に賭けてもよい。

(2014.12.11)

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文学と年齢

「だとすると、熱意と激情の青年期こそ詩作にもっともふさわしい美の年代だとする通念に反して、まさにそれと正反対の主張がなされるべく、ものを見、ものを感じとるエネルギーさえ残っていれば、老年期こそがもっとも成熟した年代だと考えられねばなりません。ホメロス作として伝わる驚異の詩は、盲目の老ホメロスにしてはじめて作りえたものであり、ゲーテについても、老年に至って、あらゆるこまごました瑣事から自由になったとき、はじめて最高の仕事を達成できたといえるのです。」(ヘーゲル「美学講義」・長谷川宏訳)

 現代の日本ではどうも文学者に若さを求める傾向が強くて、同じ作家でも若書きの作品ばかり取りあげる。そこから「文学は青年期のもの」という偏見さえ広がっているように思える。だから壮年期になると、日本人は文学から離れていく。残念なことである。

 どれほど天才的な作家であっても、若い時に書いた作品は若い。ある種の鋭さは色あせず映っても、一人の人間が年齢を重ねていった生の経験からは物足りなく思えるのは必然のことだ。だがその時文学から離れず、老年まで登りつめた作家の作品に触れることができればいいと思うのである。

 その作品が書かれた時の、作家の年齢、学者の年齢、それはもっと注目されるべきものであって、一人の人間の歩みが、我々に勇気と力を与える。歳を重ねれば、才能の「可能性」ではなく、一つ一つ作品をもって進んでいくことになる。一年一年如何に作品を書いていくか、そして自分はどこに至るのか。

(2014.11.16)

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言葉が人を動かす

 政治の季節である。言葉は人を動かすだろうか。まるでそれが問われているかのようだ。言葉は確かに人を動かす。けれど煽動する言葉と、真実に触れて動かす言葉は違う。本当に違う。如何に後者を使えるか。

 他者が自身の言葉の真実性に応えて動いてくれる。思えば奇跡のようなことである。ただそうした奇跡的なことが起こるのは、自身と言葉が不可分であって、しかも自身の生にゆるみが無い時である。

 その「私」は現在だが、それまで何をしてきて、今何をしていて、これから何をしようとしているか、しっかりと他者に見える時に生じる。現在の「私」の内に本当に過去と未来がある。「善の研究」で描かれる「統一」というのは好きな言葉である。無数の「私」が一つになって。

 高潔というのは仰々しい言い方だが、自分の生き方にひそかな逃げや狡さがあると、そうした強い意志は持てない。もちろん逃げのなかった人間なんてほとんどいないわけで、要はそのあり方を今鋭く乗り越えるか否かだろう。少なくとも言葉で戦う人間には、どうあっても高潔さは求めたい。自戒をこめて。

(2014.11.19)

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学問も芸術も逃げ場ではない

 昨日の研究会の報告は、本当に良かった。誠実に深く一人の知識人と向き合っていて、その思想の真価がわかる。全力で思考し続けた人間をトータルに評価するのは、並大抵のことではない。何より報告者の方のまっすぐな強い意志の歩みに、勇気づけられるようだった。

 研究者を取り巻く状況は決して良くはない。しかしそれでも、知に携わる限り、精神をつねに高く保たなければならない。あらゆるものをねじ伏せて、なすべき仕事を美しく遂げなければならない。難しいことだが、知識人とはやはり、そういう人でなければならないのだ。分かれ目はすべてするかしないかだ。

 学問や芸術は確かに、目の前の不愉快な「現実」とは違う価値を示してくれる。だが、絶対に間違ってはいけないのは、学問も芸術も不愉快な「現実」からの「逃げ場」ではないということだ。単に「逃避先」として学問や芸術を使うのは、最悪の冒涜である。

 学問や芸術は、不愉快な「現実」と最前線で戦うものである。だからこそ携わる人間が、それぞれ自身のトータルな生き方で示していかなければならない。「逃避」という後ろ指をさされるような事態を自分自身で絶対に許してはいけない。学問も芸術も、本人が「どう生きているか」とつねに不可分である。

 ということを、あらためて自分自身で問うことができて、昨日はとてもよかった。長い長い、先の見えない戦いは辛いけれども、はるかに厳しい条件で成し遂げている人は沢山いるわけで、自分も負けてはいけないと思う。芸術と学問への敬意と、信念と、誇りと。

(2014.11.17)

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我々を抱きとめるもの

 最近ずっと、西田幾多郎を読み返していて、二十代の頃にはわからなかったものに、絶えず触れている気がする。そして晩年の仕事にむかうにつれ、それが論理の深化のみならず、西田という一人の人間の感情がにじみ出してくるのを感じるのだった。彼が歴史と言う時、そこに如何に痛切な感情があることか。

 こういうものを感じると、芸術にせよ、学問にせよ、やはり本当の意味で理解できるのは、書き手と同じ年齢に至ることが必要なのではないかと思う。論理も感情も意志も、一つのものなのであれば、論理だけを私たちは共有することはできない。そこにまつわる感情も、意志も。

 歴史というものが大きくうつる。それは人が歳をとるということかも知れない。沢山の死別を経て、いよいよ淋しくなる一人の人間の生、その時歴史は美しく、大きく瞳に広がる。自身の生の淋しさを確かめるような行為でもある。歴史に抱きとめられても、我々は一層淋しくある。けれどそれでよい。

 我々は、どこかで自身を抱きとめるものに向かって生きている。「併しゲーテの底にあるものは自然であって当為ではなかった」(西田「ゲーテの背景」)我々を最後に抱きとめるものは歴史であろうか。それとも自然であろうか。私にはまだ、わからない。

(2014.11.14)

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