社会はいくらでも滅ぶ

 これから社会で何が起ころうと、変わらず役に立つのは人文学の学びだ、と私は教えている。人間について学ぶのだからどこで何をするにも力になる、全く卑下することはないと。経済、社会というが、第一次大戦後みたいな根底からの崩壊は歴史にはよくあり得る。何でそんなに今の社会を信じられるのか。

 歴史を見ていると、それまで盤石だった産業がちょっとした技術革新で消滅するということがよくある。ちょっとした事件で無くなる流行というのがある。無論未曾有の事件も起きる。そのつど沢山の人が苦境に陥る。だが我々はそんな事件のすべてを必死で予想しても仕方がない。人間を持っていればいい。

 人間が人間の偉大さと愚劣さを考えることは、どの時代からも無くならなかったし、人間が人間を教えることも、どの時代からも無くならなかった。少しも金にならない学問が、ずっと学問としてあったのはなぜか。社会はいくらでも滅ぶが、それを超えて人間は生き続けなければならない。そういうことだ。

 その意味では、ひとたびは人文学もひどい仕打ちを受けるかもしれないが、日本でも百年くらいすれば、普通に人文学は復活するだろう。ただこの時代の愚劣さは我々が引き受けるとしても、この時代にうち続く子どもたちに分り切った無益な苦闘はさせたくない。後生に引き渡せるものは引き渡してやりたい。

(2015.6.8)

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