日本語で思考する

 ささくれだった騒擾さが増していって、自分の精神も荒れてくると、古典の美しい簡素さが野の花のように目に映る。三十代半ばにして、「伊勢物語」が良くて良くてたまらない、と思うようになった。

 膨大な言葉のなかで、残るべくして残った言葉、残るべくして残った物語、その強さが自然と、自分を静かな思考へ引き入れる。その言葉と同じ水脈において言葉を使うことのできる自分の浄福を感じる。

 自分が「日本人」であるかどうかは、確固として定義しようという気持ちは自分にはない。日本文学の古典の世界と縁の深い西日本の世界と、またそこから遠い、北方の世界が自分にはある。
 ただ自分の母語は日本語であると思うし、日本語で文学をすると自分は決めている。だから日本語をどこまでも遡っていく意志もある。

 1930年代の知識人のようで、我ながら可笑しいが、20代の頃は随分西欧の現代思想に憧れを抱いて、それを基軸に思考しようと躍起になっていたのだが、急に近年、とことん「日本語」で思考したい、という気持ちになってきた。学んできた西欧の思想への尊敬がなくなったわけでは全くない。

 尊敬する西欧の思想家たちが、我々に何を言うかと考えれば、「日本語で思考したまえ」となるだろう、そう思うようになったのである。ひどく長い時間の積み重ねがある言語、そしてなかなか優れた水準の文学を、我々はまっすぐに読むことができる。「なぜその豊かな条件を使わないのだ?」と、彼らは不思議に思うだろう。

 そう思ったとき、折口信夫という人が、以前にも増して大きくなった。彼の仕事は難解で高度ではあるけれど、目的は非常に明確である。我々は日本語だけで、どこまで考えられるか。そしてこれから、日本文学をどう高めていくか。そのために彼はあの膨大な仕事に取り組んだ。別に折口に神秘主義はない。すべては日本文学のために、必然の仕事だった。

 折口のように日本語で論証し尽くした果てに、その先に普通に西欧の思想と同じものと出会うこともあるだろう。それは互いに手を取り合って喜べばいい。

 だが能などを現代評価する時に、最初から西欧の思想をあてがう必要もないと思うのである。西欧の思想を尺度として持ってこなくても、最初から世阿弥は大切な水準をわかっていた、ということでいいではないか。そしてそれは彼の言葉のうちに、初めから書いてある。まずそこから読むべきではないか。

 こういう考えも、ほとんど同意が得られないだろうけれど、まあいいのである。でも、日本文学は、自信をもって大事にしたらいいと思う。どんな「日本的なもの」よりいい。本質において他者を深く尊敬している。「マレビト」とは実にいい精神だ。

(2014.10.24)

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