芸術に奉仕する

「さあ、私がいうことを、しっかりと覚えておきたまえ。演劇というものは、これが公開されることや、スペクタクルとしての側面をもつことのために、単に自分の美しさを売物にしたり、出世をしたりすることのみを願う、多くの人々をひきつけるものだ。「彼らは、観客の無知や、その歪んだ趣味や、情実や、策謀や、虚偽の成功や、そのほか、創造的芸術とはなんの関係もない、多くの手段を使う。そういった利用者は、芸術の宥すべからざる敵である。我々は、彼らに対しては、あくまで厳しい手段をとらなければならず、もしも彼らが矯正できないのならば、彼らは舞台から追放されなければならない、そこで、君は、きっぱりと決心しなければならない、君がここへやってきたのは、芸術に奉仕し、そのために犠牲になることか、それとも、君自身の個人的な目的に利用するためか?」(スタニスラフスキー『俳優修業』)

 こうした明快な厳しさが、私は今の時代に欲しいのである。「甘くてよい」理論は沢山ある。自己を芸術の前に厳しく。学問の前に厳しく。しかし実に彼らは充 実した生を送っている感がある。彼らは不特定他数の人間への「サービス」をしない。だが彼らは芸術と、正面から向き合って、対話している。

(2013.11.8)

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