言葉が人を動かす

 政治の季節である。言葉は人を動かすだろうか。まるでそれが問われているかのようだ。言葉は確かに人を動かす。けれど煽動する言葉と、真実に触れて動かす言葉は違う。本当に違う。如何に後者を使えるか。

 他者が自身の言葉の真実性に応えて動いてくれる。思えば奇跡のようなことである。ただそうした奇跡的なことが起こるのは、自身と言葉が不可分であって、しかも自身の生にゆるみが無い時である。

 その「私」は現在だが、それまで何をしてきて、今何をしていて、これから何をしようとしているか、しっかりと他者に見える時に生じる。現在の「私」の内に本当に過去と未来がある。「善の研究」で描かれる「統一」というのは好きな言葉である。無数の「私」が一つになって。

 高潔というのは仰々しい言い方だが、自分の生き方にひそかな逃げや狡さがあると、そうした強い意志は持てない。もちろん逃げのなかった人間なんてほとんどいないわけで、要はそのあり方を今鋭く乗り越えるか否かだろう。少なくとも言葉で戦う人間には、どうあっても高潔さは求めたい。自戒をこめて。

(2014.11.19)

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