文学と直接経験

 文学をやろうと決めてから、私は絶えず文学を探している。小説や詩の中だけではない。街の会話に、過去の文字に、子どもの声に、ひそかな手紙に、言葉があるところにはすべて。文学という肩書きが無くても、不意に目が覚めるような真実の言葉があらわれる。見逃すまいと日夜目を凝らす。

 さらに言えば、言葉の無いものにも文学があることがわかってきて、世界は一層不思議な姿に変容していった。それとともに単純な力強さが増していった。

 こう言うとまことに神秘主義的に聞こえるのだが、ある種の直接経験を否定しては、文学は成り立たないだろう。直接経験、純粋経験とも言うべきか、それを描いた文学作品は古今非常に多いのだ。むしろ王道の場所を占めている。

 言葉を我々は不自由と考えるのか、自由と考えるのか。言葉は我々にとって、絶望的な縛めとなるのか、最大の突破力となるのか。つねに前者の方が、苦悩する我々には信じやすい。しかし後者を信じなければならない。過去には沢山の作家が実現しているのだから。

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