現代文学批判

 怒るべきことに怒れない。怒るべき時に怒れない。気がつけば互いが互いの怒りを実に軽く扱うようになった。危機は目前に迫っているのに、我々はお互いの繊細な感情ばかりを思いやって、少しも筋を通す言葉が言えない。言わせない。結局、相手のことを考えていないのも同然である。今の日本人のことだ。

 現代文学への怒りというのが深く自分にはある。自分は文学に人生を捧げているので、率直に現代日本の問題の中心を現代文学に見る。ある種の人は文学への極大な評価と笑うかも知れないが、そういう事態を招いている現代文学に怒りをおぼえるのである。本来文学は人間の精神の中心であらねばならない。

 もちろん現在文学に携わっている自分自身の生ぬるさへの憤りも深い。だからこそ、しっかり声をあげようと思うのだが、今、日本ではどこに文学があるのだろうか? 本当の文学が。大衆文学とされるものにか? 文壇か? あるいは文学研究の学会か? どこにもないと私は感じる。皆そうではないか?
 この問いをさし向ければ、誰もが「「本当の文学」という定義がわからない」「それこそが「文学」を仮構する偽の問題構成ではないか」「絶えざる「文学」概念への批判こそが……」ともっともらしく答える。もう聞き飽きたのだ。それらの批評的言説が文学を魅力的にしなかったのは明らかではないか。

 これから社会的地位はかつての戯作者の如く地に落ちていくと思うが、現在の作家は辛うじて不思議に高い社会的地位にいる。それはなぜか。現在の自分たちの実力だと言うのは錯誤も甚だしい。誰がそこまで作家の地位を高めたか。戦前の文学者である。自分たちが散々否定する日本の近代文学者である。
 戦前の作家たちは決して文学をそんな知的玩弄物のように見なさなかった。事実上生命を賭けて文学を信じたのである。本当に文学のために野垂死に、獄死した。「文学を疑ってかかるのが文学」、そんなあやふやなもののために、生命は賭けられないのである。自分の人生を軽く扱ってるから言えることだ。

 当時の文士たちは批評家にも怒りは苛烈だった。大学に籍をおいて「研究」する批評家には特に厳しかった。研究として涼しく作家の命がけの作品を分析して飯を食い、家に帰れば小市民的生活に戻る。怒りは当然だ。私はこのことも大学にいる人間として絶えず自分の胸にとめている。文学は趣味ではない。

 現在、文学研究の学会に文学がないのは明らかだろう。文学への好意はあるのかも知れないが、「研究」に徹する姿勢から新しい文学は生まれるはずがない。事実、研究対象となる作品は何でもよいということになっている。材料は何でもいい、解釈できればいい、という世界に何の文学の未来があろうか。
 近代文学、その時は「現代文学」だったが、それを古典文学の如く気高いものとして研究する道をひらいたのも戦前の文学者である。安穏とした大学での職業のためではない。現代文学を歴史的視点の下に問い、少しでも進めてほしいという作家たちの切願があった。近代文学研究は歴史認識と不可分だった。

 文学のために死んだ、累々たる作家たちの過酷な生涯。それがあって、我々の文学への敬意も、文学者への敬意もあるのである。もちろんその文学は「純文学」と呼ばれたものだ。純文学という誇りがなければ、文学者はそこまで戦えないのだ。それをいかに現代の日本人は身の程をわきまえず嘲笑しているか。
「純文学」を「私小説」と早わかりで片付け、特にその哲学も真剣に追究せず、大衆社会に翻弄された作家の既得権益のように侮蔑し、「西欧文学の注釈に過ぎない」と嘆息してみせる。何度でも言うが、その純文学作家たちの生死があって、我々は文学をまともに語れる立場にいるのだ。
 文学を書いても、語っても馬鹿にされない。一応の敬意を払われる。そう、現在文学には権威がある。戦前の文学ではない。現在の文学にこそ根拠の無い権威があるのである。そう、制度化された権威が。戦前の作家たちが純文学のために行った努力を悪用しているのは現代の人間の方である。

 私は現在、「純文学」という言葉が文壇に残存して用いられていることが非常に不愉快である。「純文学とは何か」ということをまともに考えることのない文壇。文壇が何のために生まれ、何を目指してきたか、その根源を少しも考えない文壇。今こそ滅んだ方が文学のためになるだろう。まさしく制度だけだ。

「高見さん、うちのおやじは放送に出ることを嫌いましてねえ、芸人みたいな真似ができるかって言ってましたよ」芥川也寸志が高見順に言った言葉である。昨年の芥川賞受賞者はこの言葉を恐らく知らない。与えた方も恐らく知らないのだろう。そして文壇からは何も怒りの声はなかった。象徴的だった。

(2016.5.17)

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