純文学とは何か

 さて最近は、昨今の日本文学の状況について思うところがある人が多いのか、あちこちでよく質問をされる。この頃の文学はどうなんでしょう? という質問だが、どちらかと言うと、批判的な言葉が聞きたいというのが実際のようだ。批判は私の第一の仕事ではない、だが批判はあるので、思うことは言う。
 文学とは何か違うのではないか? そう感じてもその理由を確かな形で言えなくなっているのは、端的に言って「純文学」という指標を喪失しているからである。純文学が本当に達成されていれば、面白かろうが面白くなかろうが、我々は文学にある種の信頼をおく。そこが揺らいでいるから不安なのである。
 
 純文学はどうも、戦前日本の偏狭な文学概念だということなってしまったようだ。しかし日本人に、芸術としての文学を教えたのは純文学である。純文学に対する近代日本人の強烈な誇りというのは、もっと大切に考える必要がある。近代日本の精神の中心とは何だったろうか? それはずっと文学だった。
 世界文学の古典と匹敵するが如くに近代日本の文学全集をいくつも編み、あれほど文学館を建てることができたのは、文学が誇りだったからである。そして「純文学」という言葉を日本人が自ら生み出すことができたことは、日本人にとって何よりも光栄だったのである。

 たとえば高見順は、昭和三十四年に、純文学の危機の中で、『新潮』は未だ「純文芸雑誌の孤塁」を守っていると賞賛して、昭和四年の秋声の言葉を引く。

「徳田秋声氏は「所謂商業主義から行けば『新潮』は新潮社に取ってそう大切な存在ではないだろう。事によると或いは厄介な存在かも知れない。儲かってはいないようであるが。しかし「新潮」は社にとっても実は大事な存在だし、これが万一なくなると「全文壇に遍く輝いていた光りが、遂に失われる寂しさを感ぜしめるものである」と書いている。」(高見順「昭和「新潮」私観」)

「新潮」を純文学そのものにおきかえて見ればいい。純文学の喪失とはそういうことである。純文学はどうやっても商業主義とは相容れない。もちろん、その代表とされた「新潮」のルーツが中村武羅夫の戦いにもあるように、社会意識が高まる時代でも、純文学は安易に「政治」に引きずられてもいけない。

 純文学は芸術である、という定義がある、では芸術としての文学とは何か? この点は正しく考えるべきだろう。芸術とはこの世の「個」につくものである。「美しい花」という具象物であるということであり、だから個我が大切なのである。近代的個我である必要はない、だが「個」から離れてはならない。
 だからその筆頭として私小説が純文学の謂であったのである。もちろん狭義の私小説である必要はない。この世の「私」ということを離れては、芸術は芸術ではない。芸術は概念の仕事ではない。絶えず滅びゆくこの世のものとともにある。虚構を用いても、その「私」から絶対に離れないのが純文学である。

「私」というのは、ベルクソンが言うよう内発的なものでしかない。内発性。私の要求。私の願い。私の意志。そこを貫くのが純文学である。純文学は私の欲望を私が叶えるということである。大衆文学は、他人の欲望を作家が叶えるということである。他人のために書き、他人に書いてもらうということだ。
 大衆文学の仕事はそれはそれで大切な仕事である。だが決して純文学と大衆文学を混交してはならない。目的が全く違うのである。不幸な混交にしかならない。かつては純文学と大衆文学は、明確に読者が分かれていた。両方読むという人はいなかった。極端なようだが、それでいいと私は思う。

 純文学の読者はでは、何のために読むのか? 簡単に言えば、自身の内発的な生を高める刺激として読むのである。楽しむものでも、愛好するものではない。はるかに自分をおいていった姿をみるかもしれない。それでも、人間はそこまで行けるのだな、と思って読むのである。孤高の軌跡だけがある。

 いくら古風と言われても、主張としてこの線は譲りたくない。自分以外のための仕事はいつの時代でも人間はしているからである。純文学が「食べられる」道は全く見えないが、もともと自費出版をリヤカーで売っていた世界である。その原点を思い返すだけだ。
「純文学を守る」という言い方も、今はしたいとは思わない。もう一度、純文学を勝ち取りたい。そういう段階に来ている。日本には歴史的に優れた理念が幾つもあるが、生きたものとしてわからなくなったのなら、形骸化させて守っても仕方あるまい。痛みを経ても、守るのではなく、勝ち取るのである。

(2015.9.24)

This entry was posted in Essay. Bookmark the permalink.