学問も芸術も逃げ場ではない

 昨日の研究会の報告は、本当に良かった。誠実に深く一人の知識人と向き合っていて、その思想の真価がわかる。全力で思考し続けた人間をトータルに評価するのは、並大抵のことではない。何より報告者の方のまっすぐな強い意志の歩みに、勇気づけられるようだった。

 研究者を取り巻く状況は決して良くはない。しかしそれでも、知に携わる限り、精神をつねに高く保たなければならない。あらゆるものをねじ伏せて、なすべき仕事を美しく遂げなければならない。難しいことだが、知識人とはやはり、そういう人でなければならないのだ。分かれ目はすべてするかしないかだ。

 学問や芸術は確かに、目の前の不愉快な「現実」とは違う価値を示してくれる。だが、絶対に間違ってはいけないのは、学問も芸術も不愉快な「現実」からの「逃げ場」ではないということだ。単に「逃避先」として学問や芸術を使うのは、最悪の冒涜である。

 学問や芸術は、不愉快な「現実」と最前線で戦うものである。だからこそ携わる人間が、それぞれ自身のトータルな生き方で示していかなければならない。「逃避」という後ろ指をさされるような事態を自分自身で絶対に許してはいけない。学問も芸術も、本人が「どう生きているか」とつねに不可分である。

 ということを、あらためて自分自身で問うことができて、昨日はとてもよかった。長い長い、先の見えない戦いは辛いけれども、はるかに厳しい条件で成し遂げている人は沢山いるわけで、自分も負けてはいけないと思う。芸術と学問への敬意と、信念と、誇りと。

(2014.11.17)

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