ムーサと共に

「若者よ、心高まる若いうちに、/しかとおぼえておくがよい、/ムーサはともに人生をあゆむとも、/きみを導いてはくれぬことを。」(ゲーテ)

 なかなか苦い詩であるが、引き受けねばならない詩でもある。ムーサたち、文学も芸術も学問も、私たちの人生と共にあるが、どのように生きていけばいいかは、教えてくれない。そう、文学に魅入られても学問に魅入られても、自分で生きていくしかない。生きる標は自分で探していくしかない。

 芸術も学問も、目指す生きる道があるよう私たちは錯覚してしまうが、ゲーテが言うよう、本当は無いのである。ムーサはずっと悲しくも先頭歩く自分と同じ歩調で、そばにいる。ムーサはどれほど愛情をかけてもどう生きればいいか何も教えない。しかし人が生きるために格闘する最中、ずっとそばにいる。

 生きるための無様な格闘というのが人生には圧倒的に多くあって、そういう時はムーサに最も隔たっていると惨めな気分になる。だがムーサは側にいる。学者は学問では食べていけないし、文学者は文学では食べていけない。別に恥じることはない。内なるムーサに背を向けずちゃんと生きていけばそれでいい。

(2015.3.24)

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