七月の島の夜に聞いた、宝生閑氏の声が、今も耳に残っている。更けゆくや。在原寺の夜の月。夜の月。待謡というのかな。草の間にしいんとのびやかにたちのぼる言葉。
宝生閑氏のお話を読んで、小説家はワキの精神を学ぶべきだと思った。叙事の秘密を、ワキが知っている。物語とは何か、ワキが知っている。
日本の古典文学や、古典芸能には、きわめて高い達成があって、あらゆる芸術理解の道標をそこから引き出すことができる。透き通った糸を丹念にたぐりよせていけば、深遠な思考が、露の間にひそやかな美しい巣を張っている。
あの美しさを解き明かすのに、西欧の理論を無理に借りることはなかった。折口信夫は、日本語から、日本文学から、日本の芸能から、人間の全てを語ってみせた。日本の古典文学には、言葉として、理論が十分に描かれている。
言霊がある、という自負を、私は今も大切にしたらいいと思う。あくがれて行く魂。あくがれて行く言葉。日本というものには、ずっと、流浪性が刻印されている。何かを失いながら、何かを求めていくような、もの寂しい道行き。かそけき途上の生。
日本人に優しさや強さがあると言うなら、この流浪性を秘めた言葉のうちにあるのだ。我々はずっと、どこからか来て、どこかへ向かっている。
(2014.9.11)