大いなる苦悩を

「馬鹿なことをしている」、なら、もう一段賢く。小賢しさに戻ることはない。小賢しさを捨てて、馬鹿になって、そして本当の意味での賢さが見えるまで。

 息苦しい日々だ。不愉快さは絶えず心身に浸食して、我々は両手で音も立てず掻きながら瞼を閉じ、必死で忘れようとする。これほど不愉快でありながら、一つ一つ言葉にすれば、何と狭小な苦悩。全く面白い時代ではない。我々だって大いなる苦悩を持ちたいものだ。我々の生だって大きくありたいのだ。

 より大きく、より強く、「生の拡充」とはまことにいい言葉で、我々が一日でふりまわされる事件など、大半本当につまらんことである。同じ日々の中で、大いなることを考えればいいのだ。そこからが解放だ! さっさと進め! 言葉で自分を高めろ! 我々も面白い時代を見たい!

 昭和初期のアナーキズム系詩人は、「詩壇のテロリスト」と言われた訳だが、実際言葉は最大の発破になる。人間は言葉で悩み、言葉で立ち上がるのである。

(2015.1.7)

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