純文学

純文学という思想 小林 敦子(著) - 花鳥社

『純文学という思想』 (花鳥社 2019年)

 

 「純文学」とは何をさすのか。現在、それに簡単に答えられる人間はいません。
純文学という言葉は、今も文学の場に残っていはいます。しかしほとんどの場合、その語は批判的な影をおびて使われます。純文学とはもはや有効ではない過去の文学概念である、純文学とは文壇が作り出した中身のない権威的概念である、純文学とそれ以外の文学の差とは掲載する媒体の差でしかない……このような議論ばかり多く目にすることでしょう。一方で、わずかに純文学を標榜する立場があったとしても、そうした批判に抗するだけの論拠をたしかな形で示してはいません。それでも純文学というものは、不明瞭に見えながらも、不思議な存在感の記憶をもって、我々の心の片隅にとどまっています。「純文学」など無いように見える、けれど本当は、何かあるような気もする、それが現代の我々における、純文学の偽らざるイメージかも知れません。

 本書は、純文学というものが、何をさし、どのような思想にもとづく文学なのか、正面から問うた本です。

 この書は、現在主流の文学研究とは大きく視角を変えました。現在の文学研究は文学の受容者の、つまり読者の、作品を読む「社会」の視点を重視します。しかし純文学の本質は、それでは決して見えてきません。純文学とは、小説を書く実作者の実践と不可分の文学なのです。受容のされ方、批評家による論じられ方をどこまで見ても、純文学という思想は姿をあらわしません。小説を書こうとする作家たちが、自らどのように文学を考え、そして同じ書き手たちの作家たちをどう見たか、この地点に立つことによって、初めて純文学という文学の意味ははっきりわかるのです。

 本書は、批評家や研究者の「純文学」の「定義」ではなく、自ら純文学を書こうとしてきた実作者たちの生きた言葉を追うことで、純文学という思想を描き出そうとしました。作者たちの言葉を、純粋に敬意をもって受けとめると、純文学とは何か、その答えが強く鮮やかに浮かび上がってきます。

 純文学とは、近代日本文学全体にかかわる主題です。それゆえ本書は、明治期から現代まで広く対象としながら、多くの議論にふれました。

 序章では、純文学の語の登場と定着、大正末の私小説・心境小説の議論、1930年代の「純文学の危機」論、1960年代の純文学論争といった、純文学をめぐる言説の歴史的歩みを概観しながら、純文学を問う視座をさぐります。「純文学」はその語られ方を表層的に追うと、様々な文学的立場による主張がもつれあう錯綜した概念に見えますが、60年代、純文学の堅守を主張した小説家・高見順の考えに沿うと、当時の実作者たちが共有していた純文学の本質がよくあらわれてきます。「最後の文士」と呼ばれた高見は、明治・大正・昭和と培われてきた、純文学という思想の水脈の継承者でした。高見の純文学の理解は、純文学が何であるかわからなくなった現在、大きな足がかりとなるのです。

第一章 文学の独立

 高見自身自称していた「文士」という言葉は、純文学の思想と深くかかわります。「文士」とは、文学をなす人間の反俗性を示す言葉と高見たちは考えますが、それは同時に文学を独立させようとする意志の存在を意味しています。

 本章では、「文士」を軸に、そこにあらわれた文学の思想を明らかにしていきます。文学は独立する、文学は何ものにも従属しない、文学の独立とは、己の内部生命の独立である、あらゆる社会的立場の喪失と引き換えになっても、文士は文学の独立を守る−−高見は、その意志は北村透谷以来、文士たちの誇りとして純文学の内に引き継がれていると言います。

 文学の独立とはどういうことか、文学は権力に従属しない、国家に従属しない、ここまでは現代においてもよくイメージされることでしょう。しかし純文学の文士たちの戦いの力点はより強く、「社会」からの独立に置かれています。文学を取り巻く多数者の外からの要望、透谷の言葉では世の中から求められる「快楽と実用」の要求、そうしたものに従って文学を書くことを、文士は自らに許しませんでした。誰かのためになるから、誰かが求めるから、文学は書かれるのではない。自らそのものに生きる意味があるように、「私」が書く行為そのものに意味がある。創造は誰かのためになされるのではない、ただ作り出すことそのものが、自らの喜びなのだ。そのありようこそ純文学だと文士たちは考えるのです。

 それゆえ文士たちは社会におけるあらゆるものを失う覚悟で文学に臨みます。もはや現代では忘れられてしまったことですが、「作家になる」とは、社会的栄達とは全く逆の、社会的脱落を意味していました。その苛烈な賭けにおいて、文士たちは社会の顕現たるジャーナリズムから、「読者」から純文学の独立を守ろうとしました。「作家」がほとんど無条件に敬意を払われるようになった現在、その基盤を誰が作りあげたのか、我々はよく振り返る必要があります。そしてまた、文学が社会の一大産業となってしまい、「読者」の名の下に、創造行為に「快楽と実用」を強いている現状を、あらためて我々は自己の問題として考えるべきです。

 戦後の哲学が明かしてきたように、社会からの「私」の独立など、到底不可能なことなのかも知れません、しかし、純文学の文士たちは、その困難さに見合う生の賭けをしていました。それを否定するためには、我々にも同じ強さの生の賭けが必要でしょう。少なくとも我々にも、自らの生は必要です、そして何ものかを生み出し自ら変化していく生というものは、創造行為と不可分です。

 純文学は、時として言われるような、社会に従属する大衆文化を蔑視する「特権的」な創造行為ではありません。創造の純粋さ、生み出す喜び、そのすべての創造行為の根源を守り、支えようとする文学なのです。

第二章 私小説の意味

 文学の独立を示す純文学、「私」の内部生命の独立を願う純文学、その中心は、私小説と見なされてきました。私小説もまた、現代では曖昧にイメージされているものです。そして歴史的にはきわめて激しい批判が長く続けられてきた文学でもありました。私小説批判とは何であり、私小説とは何を意味するのか、本章では、純文学の根幹におかれた私小説を問います。

 私小説批判は純文学批判同様、きわめて多くの主張がからみあった複雑な姿をしています。その批判の長さゆえに、現代では私小説をまずもって否定するところから入るのが通例かも知れません。しかし批判の長さ強さは、それだけ私小説という文学の力を逆に明かしているとも言えます。

 本章では、先に自然主義時代から現代に至る、私小説批判の歴史を思想史とあわせて紐解きます。反自然主義の立場から、本格小説・虚構小説の要求、昭和のモダニズム、プロレタリア文学、戦後の文学の「社会化」の要求、そして1980年代以降のポストモダニズムの浸透と「制度」論、読者論…批評家、社会科学者らも含めて私小説批判は広汎に展開していきます。戦後における中村光夫−江藤淳−吉本隆明−柄谷行人という私小説批判の中心的なある種の「系譜」は、現代の我々の知の枠組みと不可分とも言えます。我々はだからこそ、彼らの主張を歴史的な目で捉える必要性があります。大正・昭和期の文学者への知的挑戦として、世界的な思想潮流を背景に「未熟」な近代的個我の成熟を目指した、あるいは近代的個我そのものの解体を目指した彼らの主張は、私小説を否定し、日本の文学者が表現していた「私」を否定し去りましたが、その結果、我々は何を失ったのか今こそ再考する必要があります。どれほど「私」が幻影と説かれても、我々は、「実感」として、社会の前に自らを消滅させて良いとは決して思っていないからです。それは生のあり方として、我々が何を目指していくかという問題でもあります。

 私小説批判においては、そこにあらわされた「私」がつねに問題視されてきました。虚構を退ける「私」、「社会化」されない「私」、他者のない「私」、あるいは「個人」という自己同一性の信仰に無批判に依存する「私」、とも言われます。しかし本当に私小説とはそのような「私」の表現なのでしょうか。実は私小説という文学もまた、あれほど批判にさらされているにもかかわらず、定まった理解なく今日に至っています。「私」を偽りなく書くのが私小説だ、と言われますが、「私」を書くとは一体どういうことでしょうか。この問いもまた簡単ではありません。我々は、どの作品が私小説で、誰が私小説作家か、はっきりと言うことが困難です。純文学を深く理解するには、私小説とは何かあらためて見定める必要があります。そのために本書ではまた、批評家や研究者の視座ではなく、実作者の視座に立って考えることを試みます。

 「私小説」の語の成立の頃から、戦後まで、書き手たちにとって、絶えず指標とされていた私小説作家とは、志賀直哉です。今日では志賀が実作者たちにもたらした力が理解されていないのかも知れませんが、志賀のような「心境小説」こそ、他ならぬ私小説の、純文学の中心と見なされていました。経験的事実を「そのまま」に書いた作品も、「虚構」を書いた作品も、志賀の作品は共に心境小説と捉えられているように、作家たちにとって、「私」を書くとは「虚構」の有無という水準にはありません。心境−−つまり、今現在の書き手の自我をそのまま出すことが、私小説の意味なのです。そこには「書く私」、今まさに生成していく「私」こそが「私」である、という高度な思想があります。

 今まさに生成する「私」を軸におく私小説は、中村光夫らが言う「作品外の文脈」に依存するような脆弱な「私」ではありません。ベルクソンの哲学にも通じる内的な生の持続と変化の流れを実現する豊穣な「私」です。それは自己同一性の閉域などにはおさまらず、「他」をとらえていく、鮮烈な生の流れでもあります。

 本章ではさらに、こうした志賀らが実現していた私小説のあり方が、小説全体の本質から逸れるものではないことも、ヘーゲルやゲーテらの叙事詩観、小説観を足がかりに検討していきます。叙事、つまりはじめと終わりを持った「出来事」を描くこととは、本来、現在を生きる「私」にはできないはずのものです。しかし小説は、その「終わっていない」生きた「私」の目から、出来事を描くのです。心境という「私」の生の流れは、最も大切な小説の本質を実現していると言えます。こうした充実した書き手の「生」は、作品の外にそれ以上の「私」を必要としませんでした。志賀が作者の名など必要ない、と「夢殿の観音」を願ったよう、作品と書き手が完全に一致することが、私小説の示した生の極北だったのです。

第三章 純文学とその先

 実作者たちの言葉から、純文学、私小説を問い直してきた本書は、最後に彼ら書き手たちが、純文学の次なる方向性をどのように考えていたかを検討します。私小説のゆるぎない書き手であった島崎藤村は最晩年に、「夜明け前」を書き、志賀文学の到達を深く受けとめていた高見や小林秀雄も、「歴史」に向かっていきます。歴史とは、「私」を超える存在、「私」ではない存在の物語でもあります。しかし彼らは、自らの姿勢を変えることなく、純文学という思想のままに、歴史を捉えようとしました。それは「私」と歴史に距離をおいて書くことではありませんでした。彼らは「私」につながり、「私」に内的に呼応する歴史を求めます。私小説であって私小説でない「内なる歴史」こそ、純文学の拡充の新しい一つの姿でした。それは中間小説にあらわれた「歴史小説」とも、歴史学とも違う「歴史」の姿です。彼らの描こうとした純文学としての歴史は、その後、純文学という思想の衰退とともに引き継がれることはありませんでした。彼らの営為は、我々にそうした豊穣な純文学の可能性が眠っていることを、よく告げてくれています。

 本書は、近代日本文学研究の書ですが、また同時に、文学を書く人のための書です。決して「読者」に従属すまい、とした純文学の文士たちですが、彼らには大切な読者がいました。それは内なる「書く私」であり、そして同じく純文学を目指す書き手たちです。実践者から実践者へ。創造する人から創造する人へ。創造行為を自らの内側から深く支えてくれる純文学者の言葉を、本書は伝えていきたいと思っています。

目次


一 純文学とは何か
二 「純文学」言説の歩み
a 「純文学」の語の登場
b 大正末の「私小説」・「心境小説」
c 一九三〇年代の「純文学の危機」
d 一九六〇年代の純文学論争
三 指標としての高見順

第一章 文学の独立
一 文士
二 文学の独立
a 北村透谷がひらく道
b 「社会」からの独立
c 読者からの独立―文壇の意味

第二章 私小説の意味
一 「私」をめぐって
a 私小説批判
b 「私」の解体と制度論
二 私小説の意味
a 何が私小説か、誰が私小説作家か
b 私小説の極致としての心境小説
c 小説というものの宿命的性格―「私」の叙事
d 生の流れとしての小説
e 私小説の「私」―「私」・作品と一体化する「私」
f 私小説と他者―「私」ならざるものへ

第三章 純文学とその先
一 純文学―自我の拡充としての文学
二 内なる歴史と純文学
a 「歴史小説」をめぐる問題
b 内なる歴史と純文学

注/あとがき/索引[書名・人名・事項]