純文学は文壇にあるなどと、かつて文壇を作った人間は思わなかった。ジャーナリズムや読者層のうちに純文学があるなどと、夢にも思わなかった。彼らは、純文学は個人の生のうちにしかないと思っていた。だから彼らは純粋であり、強かった。
我々は、随分はるかに彼らから遠ざかってしまったようだ。彼らを作家たらしめるのは、つねに自己であった。自己だけを、彼らは本気で恐れた。
現代では、「自己満足」は、作家には忌むべき言葉とされる。けれど、本気で自己を満たすことが、我々にはたやすくできると言うのであろうか。純粋に書くことだけが浄福をもたらすような時を、我々は知っているのだろうか。本当に自己を満たすことのできる仕事は、私たちには稀有なのである。
かつての作家たちは、その孤独さを守るために共にいた。だから彼らはずっと一人だった。お互いの孤独さを見つめながら、もっと孤独にならねばと強く誓った。友情はその覚悟の上にしかなかった。淋しさに耐えられない人間は、文学とは違うところへ行った。文学の世界に楽しさはない、しかし浄福だけがある。
(2014.9.11)