精神を高く保つ

 志賀直哉がいいのは、その自然な気持ちの高まりで、自分の精神を一等いいところで保っている。自分といいもの、それだけのところに彼は持っていく。

 でもそれは彼が格別穏やかな人格であったということでもなく、幸福な状況であったということでもない。志賀の豊かさを言うけれど、志賀の日記を見ていると、旧家ゆえの苦悩も沢山あるのだ。

 志賀はそういう中にあって、自分の気持ちをきちんと高める努力をしている。怒っても悲しんでも、自分の精神をより一番いい形に。これは見えにくいが、とても大切な努力である。

 怒りや悲しみを否定するのではなく、そしてまた、怒りや悲しみにふけるのではなく。私たちには自然な、いい感情というものがある。自然なのに、それは簡単には得られるものではない。ひたむきな志賀の努力。

 志賀は書けないときは書かない、という姿勢だけれども、いつも気持ちを高めている。ちゃんと書くための努力なのだ。苦しみに身をゆだねる時、私たちはつ い、精神を高く保つことを忘れてしまう。苦悩は芸術と不可分だが、苦しみだけではいい作品は書けない。必要なのはいい高まりなのだ。

(2014.5.12)

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