私は文学をメディアの一つと言うのが嫌である。文学をメディアの一つと見なす視座が嫌いである。そう言わないことによって割を食ってもいる部分もあるだろう。しかし自分が終生の仕事として選んだものを、時代が無責任に乱造する媒介物と一緒にすることは絶対に出来ない。
文学に傲った権威を与える視座だとも今の人は言うだろう。しかしそれは自分が選んだものへの矜持であり、責任である。自分が見いだしたものは、それほど簡単に代えの効くものではない。少なくとも作家は、自分の作品がメディアの一つとなることを決して望まない。
私たちは文学というものの真理を知りたいのだろうか? それともこの社会の手近な見取り図を知りたいのだろうか? 後者なら別に文学を見なくてもいくらでもわかるだろう。そんなもののために文学を賭けるわけにはいかない。文学者は最後まで文学者として扱わねばならぬ。
(2012.8.26)