実体の言葉

「総て生きる言葉というものは形容ではなくて実体であろう。実体そのものを見る如き適確な具現であろう。実体自身が模倣したいと誘惑を感じる程の新しい息 吹きであろう。言葉が始めて言葉として存在権を主張し得るそんな言葉を彼は「春と修羅」のなかでずいぶん吐き出したものである。」(草野心平)

 言葉が実体であると、難なく信じられる人がいて、そういう人たちを私たちは詩人と呼ぶ。しかし希有なことだ。幻影を幻影だと言うことしかできなかった、そう絶望するのが普通なのだろう。だがそれでは淋しい。我々もまた、言葉を実体にせねばならぬ。

(2012.8.31)

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