地方に文学があるとは

 この週末、久々に東京に少しだけ行く機会があって、色々と思うところがあった。十年くらい前とはだいぶ違う印象をもった。自分の変化か、東京の変化か。実際に首都圏に在住している人は「東京」と一つに括られることに違和感をおぼえるだろう、しかしそれを含めて東京だとも思った。

 文学は東京にあるのか。あるいは学問は東京にあるのか。かつてはあると思っていた。だが今はそういう気はしない。文学は地方にあり、学問は地方にあると言おうというのか。それも違和感がある。地方にもそんな宣言をする力はないようだ。せいぜい「東京」からずれた価値を示すことに留まっている。

 歴史的にみれば、同じ土地で延々と権力を集中させれば、思想も文化も停滞することは明らかで、移行する時をむかえていることは疑いない。しかし我々はその移行期を自覚的に受け止めることはできるのだろうか。「ここに来い」と言えるのかどうか。あるいは「ここにこそ文学がある」と。

 地方に文学がある、学問がある、というのは、やはりその風土性に抜き差しならない重要な哲学性をみとめたとき、言えることである。だから当然すべての地方ではなく、「ある地方」になる。そしてそれは土地にねざしながら、土地を超えた人間の根幹に関わるものでなければならない。

 1970年代くらいまでだろうか、戦後、地方の文芸活動は非常に活発であった。20年代に並ぶ同人雑誌の時代でもあった。北海道は特に勢いがあって、「北海道文学」という言葉が好んで使われた。その言葉には、中央の作家を超える哲学を北海道の風土性から生み出そうとする強い意志があった。
 「カインの末裔」の直系とも言える哲学の生成を願って、少しも中央に対して卑屈になることがなかった。本州を振り返るのではなく、さらに北方を見るような強靭な人間の哲学。一つの地方文学の理想があったと思う。今は残念ながら失われてしまったようだ。作家や学者の大半は東京を向いている。

 風土性というのは、あまり和辻の概念に引っ張られたくないが、言わば自然と歴史の連続体である。それは土地を離れても絶対的に引き継がれるものではなく、その土地に入ればどの人間も少なからず影響されるものである。私は北海道の人間であるが、関西の人間でもあり、瀬戸内の人間にもなってきた。
 今は瀬戸内にいるので、ここから優れた強い哲学がみえないかとずっと考えている。瀬戸内は数千年に及ぶ人間の旅の道があって、海や島の意味がすごくよくわかるのである。ひるがえって山の意味も感じる。この地にある哲学は相当なものだ。だからこそ近代の文学とは違った何かが見えそうなのである。
 それが見えるのは随分先になるだろうが、何にせよ、我々は「ここにこそ文学がある」と言えなければならない。「文学はどこにでもある」と言うのも間違いではないかもしれないが、「ここにある」と強い意志で言えなければやはり文学は生まれない。ゲーテは田舎町ワイマールを選び、文学の中心を作った。

(2015.4.13)

This entry was posted in Essay. Bookmark the permalink.