文学と年齢

「だとすると、熱意と激情の青年期こそ詩作にもっともふさわしい美の年代だとする通念に反して、まさにそれと正反対の主張がなされるべく、ものを見、ものを感じとるエネルギーさえ残っていれば、老年期こそがもっとも成熟した年代だと考えられねばなりません。ホメロス作として伝わる驚異の詩は、盲目の老ホメロスにしてはじめて作りえたものであり、ゲーテについても、老年に至って、あらゆるこまごました瑣事から自由になったとき、はじめて最高の仕事を達成できたといえるのです。」(ヘーゲル「美学講義」・長谷川宏訳)

 現代の日本ではどうも文学者に若さを求める傾向が強くて、同じ作家でも若書きの作品ばかり取りあげる。そこから「文学は青年期のもの」という偏見さえ広がっているように思える。だから壮年期になると、日本人は文学から離れていく。残念なことである。

 どれほど天才的な作家であっても、若い時に書いた作品は若い。ある種の鋭さは色あせず映っても、一人の人間が年齢を重ねていった生の経験からは物足りなく思えるのは必然のことだ。だがその時文学から離れず、老年まで登りつめた作家の作品に触れることができればいいと思うのである。

 その作品が書かれた時の、作家の年齢、学者の年齢、それはもっと注目されるべきものであって、一人の人間の歩みが、我々に勇気と力を与える。歳を重ねれば、才能の「可能性」ではなく、一つ一つ作品をもって進んでいくことになる。一年一年如何に作品を書いていくか、そして自分はどこに至るのか。

(2014.11.16)

This entry was posted in Essay. Bookmark the permalink.