理念の喪失

 あらためて、新しい文学ということを考えている。私たちの気がついていない、しかしその入り口がひらかれれば、私たちが深く欲していたことがわかる文学。私たちの存在に真に届く文学。私たちは次に何が出来るのだろうか?

 小説があらわれたとき、私たちにひらかれた莫大な世界。個なる「私」があらわれたとき、始まった未曾有の世界。散文というあまりに激しい繚乱。それは実際新しかった。革命にふさわしかった。だが私たちは、その時一つ引きかえにしたものがある。理念だ。

 詩はずっと理念の体現だった。文学はずっと理念とともにあった。だが、散文性は、理念と袂をわかたざるを得ない宿命がある。散文性の爆発的な光芒ののち二百年、私たちはついに理念を失ってしまった。今や文学は理念を体現しない。理念の具象化としての英雄は描かれることはない。全ては個となる。

(2014.12.31)

This entry was posted in Essay. Bookmark the permalink.