大衆全体による独裁

「世界史には二つの時代がある。それがあるいは相前後して、あるいは同時に、或るときは個々別々に、また或るときは色々と入り組んで、個人や民族に現われる。
 第一の時代は、各個人が競って自由に自己完成に励む時代である。これは生成、平和、育成、芸術、科学、くつろぎ、理性の時代である。…第二の時代は、利用、獲得、消費、技術、知識、悟性の時代である。
 人々は外へ向かって働きかける。この時代が最高にして最も美しい時期を迎えたとき、一定の条件下においてこの時期は永続きし、人々楽しませてくれる。
 しかしこうした状態は、容易にエゴイズムや独裁政治に堕してしまう。この場合、独裁者を一個人と考える必要は全くない。きわめて暴力的にして抗いがたい、大衆全体による独裁というものもあるのだ。」(ゲーテ)

 己の中の大衆性と戦うことが、どのような権力者と戦うことよりも重要である時がある。独裁的な大衆の一人となった人間は、彼自身も不幸なのだ。

(2014.12.14)

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