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文学部の懐かしさ

 今日は西田幾多郎の蔵書を見ることができて、何だか懐かしいような、気持ちが静かになるような、感慨深さがあった。それは文学部というものの懐かしさなのだろう。かつてすべての大学の底にあった、静かな思索の香り。真理のほかに何も求めず、人の生と死のすべてを己が言葉で描こうとして。

 文学部は、もはや今の日本社会では行き場もなくなるようだ。西田幾多郎という人でさえ、否定される時が迫っているかのようだ。真の思索は否定され、人々は思索ができないように躾けられ、生きてるか死んでるかわからない日々だけが広がっていく。

 大学でなければ真の思索ができないとは、決して言わない。けれど、真の思索ができないのなら、どうしてそれは人間の教育のための場所なのだろう。経済は直近の労働力を求めることしかできない。社会全体が経済に傾斜した今、子供の精神の成長を守る最後の牙城は教育なのである。

(2014.10.27)

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日本語で思考する

 ささくれだった騒擾さが増していって、自分の精神も荒れてくると、古典の美しい簡素さが野の花のように目に映る。三十代半ばにして、「伊勢物語」が良くて良くてたまらない、と思うようになった。

 膨大な言葉のなかで、残るべくして残った言葉、残るべくして残った物語、その強さが自然と、自分を静かな思考へ引き入れる。その言葉と同じ水脈において言葉を使うことのできる自分の浄福を感じる。

 自分が「日本人」であるかどうかは、確固として定義しようという気持ちは自分にはない。日本文学の古典の世界と縁の深い西日本の世界と、またそこから遠い、北方の世界が自分にはある。
 ただ自分の母語は日本語であると思うし、日本語で文学をすると自分は決めている。だから日本語をどこまでも遡っていく意志もある。

 1930年代の知識人のようで、我ながら可笑しいが、20代の頃は随分西欧の現代思想に憧れを抱いて、それを基軸に思考しようと躍起になっていたのだが、急に近年、とことん「日本語」で思考したい、という気持ちになってきた。学んできた西欧の思想への尊敬がなくなったわけでは全くない。

 尊敬する西欧の思想家たちが、我々に何を言うかと考えれば、「日本語で思考したまえ」となるだろう、そう思うようになったのである。ひどく長い時間の積み重ねがある言語、そしてなかなか優れた水準の文学を、我々はまっすぐに読むことができる。「なぜその豊かな条件を使わないのだ?」と、彼らは不思議に思うだろう。

 そう思ったとき、折口信夫という人が、以前にも増して大きくなった。彼の仕事は難解で高度ではあるけれど、目的は非常に明確である。我々は日本語だけで、どこまで考えられるか。そしてこれから、日本文学をどう高めていくか。そのために彼はあの膨大な仕事に取り組んだ。別に折口に神秘主義はない。すべては日本文学のために、必然の仕事だった。

 折口のように日本語で論証し尽くした果てに、その先に普通に西欧の思想と同じものと出会うこともあるだろう。それは互いに手を取り合って喜べばいい。

 だが能などを現代評価する時に、最初から西欧の思想をあてがう必要もないと思うのである。西欧の思想を尺度として持ってこなくても、最初から世阿弥は大切な水準をわかっていた、ということでいいではないか。そしてそれは彼の言葉のうちに、初めから書いてある。まずそこから読むべきではないか。

 こういう考えも、ほとんど同意が得られないだろうけれど、まあいいのである。でも、日本文学は、自信をもって大事にしたらいいと思う。どんな「日本的なもの」よりいい。本質において他者を深く尊敬している。「マレビト」とは実にいい精神だ。

(2014.10.24)

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歴史の偉大さ

「ゲエテが、エッケルマンにこんな事を言っていた。…ロオマの英雄なぞは、今日の歴史家は、みんな作り話だと言っている、恐らくそうだろう。本当だろう。だが、たとえそれが本当だとしても、そんな詰らぬ事を言って一体何になるのか。それよりも、ああいう立派な作り話を、そのまま信ずるほど吾吾も立派であってよいではないか。

…ゲエテの言葉をもう一つ。彼は、こう言っています。健全な時代は客観的であり、頽廃した時代は主観的なものだ、と。これも実に当然な事の様に僕には思われますが、彼の言う客観的という意味が近代科学が齎した客観主義とは似ても似つかぬものだというところが、彼の言うところを難解なものにしているのであります。自分に、過去の英雄が立派な人間だと信じられる以上、彼に関する歴史が伝説に過ぎず、作り話に過ぎなくても、一向差支えないではないか、そういう態度をゲエテは客観的と呼んだのでありまして、一と口に言うなら、彼の客観的という言葉は、科学の、少くとも近代の科学の世界に属した言葉ではない。

…心を開いて歴史に接するならば、尊敬するより他に、僕等は大した事は出来ぬ。言い代えれば、尊敬する事によって、初めて謎が解ける想いのする人物が沢山見える筈なのだが、今日の歴史家はそういう事を好まぬ。」(小林秀雄)

 小林秀雄の歴史観は、まったく同意で、歴史上の存在を、(自らと同じ)小人物として扱おうとする姿勢は、大いなる誤謬の源であろう。「ゲエテを俗物と確かめたり、家康を狸親父と確かめたりしているに過ぎぬ。」歴史的対象を貶めることで、あたかも自身の価値を高めようとするように。

 かつて、古代から中世、亡骸を野に打ち捨てていくだけの時代があった。打ち捨てていく人々は、残酷であったろうか、貧しかったろうか、未熟であったろうか、そんなことはもちろんなく、もの寂しい事実であっても、彼らは我々にはただ偉大な人たちである。彼らがいたという事実が偉大なのだ。

 英雄には英雄の偉大さを、名も無き人々には名も無き人々の偉大さを、素直に信じられるようになれば、我々自身の生き方も、偉大になっていくのだろう。「歴史」がすっかりみすぼらしくなった現在、難しいことかも知れないが、この点、私は小林秀雄の思想を素直に継ぎたい。

(2014.10.23)

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同世代の人文系研究者に

 しかし見渡すと、自分と同世代の30代と、少し上の40代の人文系研究者のほとんどが、サブカルチャーを全肯定していて、目眩がする。サブカルチャーでは駄目だ、という若手知識人に全くと言っていいほど出会わない。

 サブカルチャーはもちろん存在していいし、知識人が娯楽として享受するのも別にいいと思う。けれど誰もが芸術と同じ水準で語ることに全く抵抗がなくなっているのは、異様に感じる。少しぐらい若手知識人の内部から批判が出てこないものだろうか。

 実感として、日本の30代から40代の人文系の研究者の、サブカルチャーへの偏愛は凄まじいものがある。その下の20代は、日常的に触れてはいても案外淡白で、サブカルチャーは「ふだんの遊び」、学校では「芸術を勉強してみたい」という意識である。だから教員にはサブカルチャーの知識を求めない。

 20代も10代も、30代や40代の人文系研究者ほどサブカルチャーを必要としてはいない。それを過剰に価値付けようともしないし、節度のある楽しみ方をする。受容の仕方として、非常に健康だと思う。そして彼らはもう少し生の実感に合った何かを求めている。だからすんなり芸術の存在も認められる。

 正直言うと、芸術ということの意味を最もしっかり説明できるはずの、人文系の研究者が、芸術を捨て、狂ったようにサブカルチャーを語り続けるのは、知の文脈において危機的な状況だと思う。前後の世代においても孤立していることは自覚すべきであるし、知識人としての立場を自省してもらいたい。

 こういうことを考える30代の研究者である私は、30代・40代の研究者の中では圧倒的に少数者である。重苦しい、逃げ場のない孤独を感じる。としても、純文学ということを守ろうとした高見順の研究者でもある私は、芸術が無いとは決して言えない。

 サブカルチャーを論じる同世代の研究者を批判すれば、激しい反感が向けられる。なかなか苦しい状況になる。本音を言えばかなり辛い。それでも50年くらいの時間軸で見たとき、譲ってはいけないと私は思う。

 私は「知識人」として気負っているわけではなくて、現代の研究者はそのままでは単なる大衆だと考えている。学位を持とうが、大衆と比べて何のアドバンテージもない。何の特権階級でもない。だから大衆文化を論じることに反対なのである。もともと大衆である人間が、大衆文化を語っても特に意味がない。

 自分がよっぽど大衆だと思っているから、私は芸術を目指したいのである。もう私たちは、大衆の方へ「降りて行く」存在ではない。「知識人」はとっくの昔に降りてしまった。だから芸術を見上げて、目指したいのである。

 ゲーテは若い弟子のエッカーマンに、そのジャンルの一番優れたものを最初に見せる。最高の絵画。最高の音楽。最高の文学。ゲーテのその判断が私は好きである。若い弟子を尊敬しているからこそ、最高のものを教える。その弟子の精神以上のものを。それがエッカーマンを人間として高めた。

(2014.10.21)

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言葉と「我知らず」

「音だけがすべて」とか、「舞だけがすべて」とかいうように、演奏家やダンサーの、身体が導く境地にあこがれて、文学者も「自動書記」の如く書きたい、と思いがちである。自分の思考よりも先に身体が動くように、自分の思考よりも先に言葉が歩くように……。

 こういう憧れは一概に否定できない。文学者は誰だって、「考えたこと」を「言葉に写す」より、ただちに言葉と一体化したいものである。白秋のめざした「芸術の円光」とはそういう世界だ。

 しかし文学の場合、こうした憧れにはかなり大きな危うさがあって、私たちは、自己の言語から思考を取り払うことは、そんなに簡単にはできない。自己はそうそう消えてくれるものではない。

 一つのやり方として、言葉を全部他人のものとしてあずけてしまう発想がある。自分が書いたものは自分が思ったことではない、社会に瀰漫する言葉が自分を喋らせただけ……。だがこれはひるがえってみれば、虚しさを確認するだけのようである。

 もう一つには、自己の思考をあえて書かないやり方。どうやっても内面の思考にかかわる場面でも、あえて立ち入らない。これはよく使われているかも知れない。でもそれは、ダンスと同じように、「言葉だけがある」という境地なのか疑問である。何か歪みがある。

 小説では、意識的に自己のあるいは登場人物の思考を書かない、という作家のエッセイを読んだ時、そこに自然に、ふんだんにあらわれている彼の思考がとても力強くて良いと思った。なぜ小説であえて隠したのか残念に思った。すべて出した彼の思考の方が、よっぽど深い響きをたたえているのだった。

 彼やその周辺の批評家たちが、思考を出さない方が高度だ、と考えているのであれば、実にもったいないことである。まして自分では隠しているという自覚を持ち続けているのであれば、言葉との一体化とは、随分隔たっている。

「我知らず」という境地は、自分が自覚していること、思考していること全部書いてしまってから、初めて意味がある。人間の思考を全部正直に書いて、なおかつ生じた「自分でもわからない」という経験が凄味を持つのである。志賀直哉はその名手であった。

 すべてが明らかなのに、どうしてもわからない、これが文学の地点であろう。最初から意図的に謎を作るのは結局謎ではない。謎解きを喜ぶ批評家たちへの媚びがあるのかも知れないが。

 批評家への謎を豊富に提供するのが小説家の仕事ではない。言葉との一体化が小説家の仕事である。自分自身がつきつめて理解した上で、初めて不可思議な言語との一体化の境地はあらわれるのである。

(2014.10.9)

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文学と解釈

 私は基本的に解釈学に批判的で、こと文学の場では解釈学をできる限り退けたいと思っている。解釈学の可能性、ということはわからなくはない。けれどその論理が最後のところで具現化するとき、ひどく違和感をおぼえるものになる。俗物の詭弁として「解釈」が盾にされる場面に我々はよく出会うであろう。本人さえ信じていないが、字面だけの無理読みで発生する「解釈」……。誰一人信じていないのに、薄ら寒く一人歩きする「解釈」……。

 解釈学は、そんな俗物の詭弁のための学問なわけがない、と心ある人は主張する。もちろん私もそう思う。しかしそのある種の具現化の可能性はつねに恐れておいてよい。解釈学の論理を是とするなら、俗物の詭弁も、あるいは解釈改憲も責任を負わねばならないということだ。

「われわれの言おうとする事が、例え何であっても、それを現わすためには一つの言葉しかない。それを生かすためには一つの動詞しかない。それを形容するためには、一つの形容詞しかない。さればわれわれはその言葉を、その動詞を、その形容詞を見つけるまでは捜さなければならない。」

 川端が引くこのフローベールの言葉を、私はよく思い出す。一つの意志と一つの言葉。二十世紀後半の知が、ある意味総力を挙げて否定しようとした「固有性」、モダンの中心。しかし、フローベールの言葉は、そんなにも「意味の複数性」の下に否定されるべきものであろうか。

 近代への批判は私にも濃厚にあるけれど、ある種の「解釈の複数性」でそれを超えるのが良いとはどうも思えなかった。少なくとも、フローベールも、川端も、自分の言葉から逃げることはないし、誤読されれば明確に抗議をするだろう。

 彼らが19世紀的であると言う前に、作家は本質的には「自由な解釈」をされるのを喜ばない。結局のところ、現代のものを書く我々の実感としてもそうだろう。(自分で何を書いているか全くわかっていない人間は、喜ぶかも知れないが。)

 そういう実感は正直に大切にした方がいいと思うのである。どれほど「個」への批判を鋭くしていても、誤読が起これば、我々は怒るし、我々はやはり文章に作者の自分の名をつけたがる。自己の解体を主張する文章に、彼の名がついているように。

 もちろん、作者自身が明確には気がついていない優れた点を見出す「解釈」や、あるいは折口などが言うよう、かつてには育ち得なかった古典の内の精神を、現代の文脈で蘇生させる、といったあり方はある。それらは解釈とは言えるかも知れないが、作者自身の内に胚胎していたものを伸ばすという意味であって、誤読まで受容せよ、という「自由さ」では決してない。

 文学研究では長く、テクスト論の時代を続けているわけだが、神の如き「作者」を否定せよ、といってテクストを独立させるのもすごく私には違和感があって、「作者が何を考えていたか」を少しも想定せずに文章を扱うというのは、逆にまさしく作者の神格化ではないかと思うのである。

 実際「神」のような実力者は多いけれど、それでもやはり彼は人間であり、その事実に我々は感銘を受ける。あれほどの作品を、一人の人間が、生きて、書いた、ということが、我々自身の可能性を示すものとして、重要ではないのか。

 もちろん作家生活の楽屋裏のようなものを捜してまわっても、作者には出会えないし、出会わねばならないのは、その作家の明確な意志であるから、単純な実証主義的作家研究ではよくない。けれど自分と言葉とを全力で一対一に結びつけようとする、作家の意志を、そうそう私たちは否定すべきではない。突き詰めて考えれば、そういう人の言葉に、私たちは動かされてきたのではなかったのか。

 危機の時には、玉虫色の発言をする人間を、私たちは信用しない。どうとでも取れる言葉をわざとする人間を、私たちは信じることはできない。その人の生き方を見て、その人の言葉の決意を感じて、ただ一つのその人の言葉を信じるのである。文学はそういうところにある。

(2014.10.6)

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対象を愛する

 対象を自分のところまで引きずり下ろすような愛し方と、対象を自分より気高くするような愛し方とがあって、芸術はもちろん後者である。対象はつねに自己にとって、あくがれる自己以上の存在である。
 私たちは弱いので、いつでも飛ぶのをやめようとする。隙あらばこの低い地平にいたがる。しかしその弱さに対象までつきあわせてはいけない。対象は美しく飛ばせてやらなければならない。

 対象は空の果てに遠い。私たちは淋しい。けれど私たちがなすべきなのは、そこまで自己を高めることだけである。

(2014.9.23)

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芸術とサブカルチャー

「小説だってサブカルチャーから始まったんだ」、と言う論法をよく見かけるが、その後サブカルチャーを本気で芸術にした努力をすっとばしてもらっては困る。逍遙然り。白樺派然り。

 芸術の大半は卑俗な文化にルーツを持っているだろう。だからといって芸術とサブカルチャーに境目がない、と言うのは暴論である。芸術となった文化は、必ず激しい脱皮の時期を持っている。そしてその時期をになった作り手は、明確に脱皮への意志を示すのだ。

「私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。」(有島武郎「生まれ出づる悩み」)という一文から小説を始める作家の決意を、私たちは受けとめねばならない。

 世阿弥の文章が、神話的歴史を語って、痛切なまでに申楽の神聖化を志向するのも同じ決意なのである。芸術は何となくでは生まれない。文化はほうっておけば芸術になるというものでは決してない。

 芸術とは何か? 現代ではすっかり定義が避けられるようになったが、西田幾多郎は真実在の模倣、ときちんと定義する。真実在、純粋経験とも言える真実在、それを写すこと。いい定義だ。芸術が定義不能と主張するなら、本気で西田に反論する力がなければいけない。

 最近は、知的文脈でも芸術を避けてサブカルチャーをもてはやす志向が強いが、そもそも「大衆性」の定義を本気で考えているか頗る疑問である。

 サブカルチャーを「制度としての芸術のネガ」、と言っておけば事足りると思ってはいないか? 「「制度としての芸術」に抑圧される人気の文化」、とぐらいしか考えてはいないか? 支持者の側から、どうもまともな定義を聞いたことがない。

 誤解されがちのようだが、芸術の側は、大衆性について明確な定義を持っている。大衆性の本質については、芸術の人間の方が、強力な理解を持っている。何が起こっているのかも、人がそこに引き寄せられる理由も、みな知っている。

 ではサブカルチャーを支持する知識人は、芸術が何であるか知っているのだろうか? 方や「真実在の模倣」で、方や「制度」では随分知的に分が悪い。菊池寛などは、芸術が何であるかよく知って、意識的に大衆文化に転向した人間である。だから彼は非常によく両方を知っている。だから菊池には芸術への敬意もちゃんとある。安易な混交は絶対にしない。

 サブカルチャーを本気で支持するなら、せめて大衆性とは何かを本気で考えるところから初めて欲しい。そしてそれを支持した場合の、終局地点まで責任を持ってもらいたい。

 これは戦後の文学研究や文化研究のみならず、歴史学研究でも顕著であったわけだけれども、「民衆」や「大衆」をふりかざせば勝利、という文脈があった。

 知的エリートは、自らと大衆との乖離に悩んだわけである。だがもうそんな呪縛は解き放たれて久しい。今や最初から大衆であった人間が、大衆文化を論じているだけである。真実在に通じているあの過酷な道を知ろうともせず。

 彼らは大衆文化を喜々として持ち上げて煽るけれども、決してその文化の行く末に責任を持ちはしない。その文化が引き起こすことは、彼らのせいではなく、大衆のせいだと言うだろう。いざとなれば、ただちに大衆の中に身を隠してしまう。

 私たちは、自分たちの信じるものを、ちゃんと責任をもって、最も高いところまで意識的に高めていかなければならないのである。

(2014.9.19)

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志賀直哉論

『人文学の正午』第5号にて、「「書く私」の文学 臨場する自我・志賀直哉」という論を書いた。

 あらためて志賀直哉という小説家の凄さを考えてみたい、と私は思うのだ。同時代の作家たちにはよく理解されていた志賀の凄さであるが、現代の文学の文脈では随分わかりにくくなっている、という感を持つ。

 簡単に言うと、反復される経験でありながら、つねに一回性と直接性を持つことができたのが、志賀という作家だと私は考える。これは本当に容易なことではない。二十年前の経験の反復でありながら、あるいは自分がよく知り抜いた経験でありながら、今まさに、初めてのものとして、文学において書き手が経験できる。これが志賀直哉の凄さである。

 だから志賀の作品には、小林秀雄が言うよう、何度読んでも、同じところで泣く、という現象が起こる。それは読者に対して変な仕掛けがあるのではなくて、書き手の経験の直接性に拠るのである。

 小説というのは叙事としての構成の完成形を持っている。構成の完成形ということを意識する時、多くの作家は直接性をすぐに失う。顛末を知って書いてしまうわけである。しかし志賀は構成として完成させながら、直接性を失うことがない。

 志賀についての論ではあるのだけど、この論文は一方で、「作品」を「書き手」に奪還したい、という願いもある。時代に逆行しているとは思う。「作品」は「読者」のもの、という議論が主流になってしまった現在、あえて「作品」は「作者」のものと、私は主張したいのだ。芸術は作品でもなく、作品が享受された時でもなく、作者が、作品を作っている瞬間にある、とあえて言いたいのだ。

 芸術については、現代ではあまりにも享受者が強くなりすぎているので、作り手への敬意を回復したい、とも思うわけだ。一方的な鑑賞者でいるうちは、結局芸術の一番大事な部分はわからないかもしれない。

 言葉というのは、本来直接性を奪われたものなので、文学はそこに如何に直接性を奪還するか、が目標になる。まして叙事である小説というのはずっと直接性との勝負である。そういう課題から志賀への強烈な敬意があった。

(2014.9.18)

オンライン公開中:「「書く私」の文学―臨場する自我・志賀直哉―」pdf

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小説と真実

 私が理想としている小説というのは、三つの真実が成立している小説である。これら三つの真実はもちろん、成立した時は一体の姿をしている。けれどあえて分けて考えてみる。

 一つ目は小説世界の真実性。描かれた小説世界が、自律した真実性を発揮しているかどうか。作品世界が一つの生き物として完成しているか、ということである。

 二つ目は書き手の真実性。書き手が作品を書いている瞬間、本当のことを言っているかどうか。事実の告白/隠蔽ということではなく、書き手が本当に語っている言葉と同じ感情に、同じ精神になっているか、ということである。

 三つ目は対象の真実性。描かれた対象が本物であるかどうか。小説は決して自己表現に終わってはならない。やはり自己の外部の何ものかを描くのである。過去の自己も対象である。主観を超えて、描かれたものの真実を射貫いているか、ということである。

 小説世界の真実性が欠落すれば、単なる野放しの感情や思いつきの際限のない雑文になる。自分の感情を書いているようで、それでは自分の感情さえ実は出すことができない。あるいは事実の羅列になる。大量の混沌とした事実を受け入れるだけで、普段の我々が面する混沌と差がないので、小説の必要がない。

 書き手の真実性が欠落すれば、小説家は「人間は本当のことを言える」、という証明を自ら放棄することになる。作為の後ろに自己を隠していい気になっていると、人間の言語能力は地に墜ちていくことになろう。小説家でなくとも、本当のことが言える人間の方が意味がある。

 対象の真実性が欠落すれば、作品は永久に主観の内をさまようことになる。自他の壁を突破するから芸術はずっと、哲学からも畏敬の念を持たれてきた。この能力をよく知った人間は、他者だけでなく、自然の姿をも正確につかむことができた。この意識がないと、画家にも、あるいは科学にも簡単に負ける。

 これら全てを達成するのは大変な水準になるが、優れた文学者は皆、ここを最初の起点に書いている。才能の有無はあろうが、人間としては、できるということだ。あたかも神に近いけれども、人間は人間なのだから、その文学の歴史は希望である。

(2014.9.12)

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流浪の言葉

 七月の島の夜に聞いた、宝生閑氏の声が、今も耳に残っている。更けゆくや。在原寺の夜の月。夜の月。待謡というのかな。草の間にしいんとのびやかにたちのぼる言葉。
 宝生閑氏のお話を読んで、小説家はワキの精神を学ぶべきだと思った。叙事の秘密を、ワキが知っている。物語とは何か、ワキが知っている。

 日本の古典文学や、古典芸能には、きわめて高い達成があって、あらゆる芸術理解の道標をそこから引き出すことができる。透き通った糸を丹念にたぐりよせていけば、深遠な思考が、露の間にひそやかな美しい巣を張っている。

 あの美しさを解き明かすのに、西欧の理論を無理に借りることはなかった。折口信夫は、日本語から、日本文学から、日本の芸能から、人間の全てを語ってみせた。日本の古典文学には、言葉として、理論が十分に描かれている。

 言霊がある、という自負を、私は今も大切にしたらいいと思う。あくがれて行く魂。あくがれて行く言葉。日本というものには、ずっと、流浪性が刻印されている。何かを失いながら、何かを求めていくような、もの寂しい道行き。かそけき途上の生。

 日本人に優しさや強さがあると言うなら、この流浪性を秘めた言葉のうちにあるのだ。我々はずっと、どこからか来て、どこかへ向かっている。

(2014.9.11)

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純文学のありか

 純文学は文壇にあるなどと、かつて文壇を作った人間は思わなかった。ジャーナリズムや読者層のうちに純文学があるなどと、夢にも思わなかった。彼らは、純文学は個人の生のうちにしかないと思っていた。だから彼らは純粋であり、強かった。

 我々は、随分はるかに彼らから遠ざかってしまったようだ。彼らを作家たらしめるのは、つねに自己であった。自己だけを、彼らは本気で恐れた。

 現代では、「自己満足」は、作家には忌むべき言葉とされる。けれど、本気で自己を満たすことが、我々にはたやすくできると言うのであろうか。純粋に書くことだけが浄福をもたらすような時を、我々は知っているのだろうか。本当に自己を満たすことのできる仕事は、私たちには稀有なのである。

 かつての作家たちは、その孤独さを守るために共にいた。だから彼らはずっと一人だった。お互いの孤独さを見つめながら、もっと孤独にならねばと強く誓った。友情はその覚悟の上にしかなかった。淋しさに耐えられない人間は、文学とは違うところへ行った。文学の世界に楽しさはない、しかし浄福だけがある。

(2014.9.11)

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悲しみとともに

「これが現実だ」と感じた時は? と尋ねると、ほとんどの人が苦い出来事を語る。なるほど現実とは苦い。真実には簡単にめぐりあえないが、私たちにはともかくも現実はある。苦い現実。苦さが現実の姿であろうか。

 アリストテレスが喜劇より悲劇を上位においたことの意味を、何度となく考える。誰もが喜びの方が好きだ。笑いの方が好きだ。誰もが笑いたいと思うものである。なのにどうして、あるべき芸術とは悲劇でなくてはならないのか。

 悲しみこそが現実であり、真実へ至る、やむにやまれぬ道なのだろう。そういえば本当の喜びにはいつも、一抹の悲しみがある。本当に嬉しいとき、人は泣く。さぐりあてていけば、そこにはたしかに悲しみがある。

 苦さも悲しさも、私たちは忘れるすべがある。そうして現実を忘れていく。いや、どうやっても現実を忘れることはできないのだ。向き合い続けるのは辛いので、一時、忘れたふりをしている。

 この笑いを求めつづける切実な営為の向こうで、巨大な悲しみがはじまっているとしたら。いまは忘れられても、人はどのみち悲しみから逃れられはしない。芸術は悲しみから逃げなかった。ずっと悲しみと相対してきた。だからこそ、私たちにはいま、芸術が必要なのだ。巨大な悲しみが始まっている、いま。

(2014.9.4)

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体系の無い知

 出版にせよweb上にせよ、哲学者や文学者の名言集のようなものが出回って、そして人気もあるようだが、あまりいいことと思わない。浅い知識で受容されることに不安がある、というより、その言葉が「情報」の如く見なされることへの危惧である。

 知も芸術も情報ではない。一言でわかる、便利な情報ではない。少しばかり「物知り」を装うために引用される、気の利いた情報ではない。

 情報としても知っているだけいいではないか、という意見もあろう。しかし気の利いた情報でしかない言葉は、結局単に言葉が消費されているということである。哲学者も文学者も一番嫌がることだ。

「名言を沢山知っている人間」が、知識人の定義のわけがない。知識人とは自分で思索をできる人間のことである。もっと言えば、自己の思索を体系化できるということである。一つの名言の背後には、そこに強固な思索の体系が存在する。

 手当たり次第の名言の収集は単なる羅列であって、思考でも何でもない。人がある種の名言に勇気づけられるのは、すでにその人の内に書き手と同じ思考の体系があるからである。すでに考えていた人間にのみ、先人の言葉は意味がある。

 しかし体系的に思索するということ、現代の日本は極端にこの発想が弱い。「体系」を拒絶する、便利な思想が流行した弊害であろうか。

 多くの「教養人」たちは、社会で事件が起こる度、次々「名言」らしきものを発する。なるほど気の利いた「名言」風だ。だが彼のばらまかれた発言を丁寧にひろってみると、思索の体系をまるで組むことができない。

 同じ人間が発した「名言」なのに、互いに矛盾しているのに気がついていない。あるいはその「名言」が実践の場まで行った時に、どうなるか、全くわかっていない。

 それらの「名言」は本当の意味で理論的に結びついていないのである。結局、感性にゆだねた思いつきを繰り返しているだけに見える。

 もちろん、私が彼らの論理の体系を見抜けていない、という可能性はあるだろう。しかし、知の現場をながめていても、自己の思想を体系化するという、根気の良い仕事をしている人間はほとんどいない。便利な社会のガイド、自己啓発本まがいの「思いつき集」はよく見かけるが。

 歴史的にみれば、哲学者も文学者も、四十代から五十代にかけては、知的には一番重要な仕事をする時期である。自身の思索の全貌を、完全に、一分の隙の無い形で、構築しようとする。あらゆる事象に対して、自分の中核をなす論理から、すべて矛盾なく説明できるようにする。

 私たちは同時代においても、こうしたひたむきで強靱な仕事を見たいし、自身もそれを目指さねばならない。

 自己の理論の体系が出来ているか検証できる、一番わかりやすい場は教育である。結局のところ、自分の論理に従って、どのような人間を育てたいか、本当に体系が出来ていれば戸惑うことはない。あらゆる人間の営為の中で、根源的にどう生きるべきか、追究されていれば、子どもに伝えることは定まってくる。

 最近は、教育と研究とは全く別のものだと言わんばかりの研究者は多い。間違っても研究や作品と、教育のあり方が分離してはならないのだ。分離する場合は、自己の論理に致命的な穴があるということである。哲学者は論理が成就すれば、必ず教育的な仕事をする。哲学の名著に講義録が多いのは、決して偶然ではないのである。

(2014.9.3)

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書く自分に嘘がないか

 現代小説の一つの傾向として、私が疑問に思うのは、その「作為性」である。文章も構成も、作者の作為がありありとわかる。「自然に書いた」ような作品をほとんど見かけないのは偶然ではないだろう。小説界は、作為を競う場となっている印象がある。

 虚構であるからそれは必然だという主張があるのであろう。しかしまたもう一つの傾向として、小説の内では非常に感覚的・受動的な人間が描かれる。小説家は作為的に感覚的人間を描く、というべきだろうか。

 この要素二つが重なるというのは、実は大変気持ちの悪いことであり、簡単に言えば、「わざと考えないようにする」書き手の姿勢につながる。「見えているものを見えていないふりをする」「考えればすぐわかることを考えないふりをする」といったことになろうか。

 虚構の小説の人物と、作者そのものは分けてもらわないと、と言うのであろう。だが、それほど簡単に分けられるものが芸術なのであろうか? 虚構と言って描写の後ろに隠れ、作為で世界を操るのが小説であろうか?

 作為性を発揮するためには受動的人間が作者には都合がいい。現代社会のいわゆる「暗部」の中にただいて、時に衝動的に何かはするが、特段考えない人間たち。それを作為を持って作者が描写する。

 私が疑問に思うのは、そうした姿勢になる時、どこに真実があるのか、ということである。登場人物はもちろん作者ではないから、「空想の人物」である。そうして書いている作者自身も作為をふるっているわけで、自然な彼の真実はない。

 すべてが「よくできた嘘」なのだろうか。だが私たちは「真実の声」があることも、人生の経験としてよく知っている。抜き差しならない瞬間に発せられる、作為の余地のない言葉があることを知っている。

 現実の生の中で、「この人が本当のことを言っている」という瞬間は必ずあるのである。その意味では、作為に従属する現代小説は、現実の人々の言葉よりはるかに劣ることとなる。

 私小説を目指し、自我を基軸にした大正期の作家は、皆「よくできた嘘」を書く能力があった。しかし彼らは決してそれを選ばなかった。徹底して真正さを求めたからである。

 それは作中人物の真正さだけではない。「書いている自身の真正さ」が、彼らにとっては何よりも重要であった。小説を書く瞬間、自身の精神に対して一分の嘘もないことが彼らの究極の目標であった。

 これはある種の事実の告白であるとか、そういう形に矮小化されるべき点ではない。純粋に、書いている今の自分に嘘がないか、という勝負である。自身の思考。自身の感情。これは決して簡単なことではない。誰もが作為で身を隠したがるからである。

 彼らは抜き差しならない状況で出る、真実の自己の叫びを、つねに小説で実践したかったのである。志賀は最後にどんでん返しを仕組むような作為性はよくない、と言う。そこまでの過程が、作者にとって嘘になるからである。

 作為よりももっと上位のものがある、それが小説だと志賀は明確に考えている。その思想が果たして現代小説によって本当に否定されるべき「時代の文学」であ るかどうか、私は問いたい。私たちは作為的な文章を書くより、自身に何一つ嘘の無い真実の文章を書く方がよほど難しいからである。

(2014.6.22)

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大衆性と名も無き人々

 歴史の資料を読むことを重ねたり、日々の中で無数の人々に出会うと、名も無き人々の偉大さ、ということを誰もが考える。歴史に名を残さない人々は実際偉大である。道行き疲れ死んでいった人たち。彼らに文学がないかと言えば、全くもって彼らは文学的であり、芸術的である。

 私たちはそういう人たちに格別な想いを寄せるし、文学として学問として語りたいと願う。名も無き人々の織りなす文化、というものを私たちは愛する。

 しかしここには大きな陥穽があって、多くの人間は、大衆文化を名も無き人々の姿と見なしてしまう。大衆性は何処までいっても大衆性であって、名も無き人々とは無縁のものである。大衆性は国が時代が変わっても、特別変わるものはなく、名も無き人々の生とは乖離したところで作動する。

 大衆文化をどれほど突き詰めていっても、出会うのは相も変わらない大衆性であり、本当の名も無き人々はついにあらわれない。大衆文化には、民衆など宿っていない。名も無き人々の手を離れて作動する別種のメカニズムがあるだけだ。

 名も無き人々というのは、芸術家が大衆性と訣別した淋しい道行きの中で出会い、静かに頭を垂れるようなそういう瞬間にしかあらわれない。

 どんな人間でも大衆性という部分は持っている。持っていない振りをすることはない。そこに身をゆだねたがる欲望もあるし、過剰に排除する必要もないだろう。ただ、それが本当の意味で優れているかどうかは、冷静にかえりみる必要がある。

 名も無き人々につこうとするあの優れた意志が、相も変わらぬ大衆性をただ補強することになってはいないか。そこで華やかに賑わっているものは、あの名も無き人々であったろうか。

 大衆性の欲望は実に単純で、そうして我々個々人の願いとは必ずずれている。我々もやがて(今も)名も無き人として生きる。そしてそれは大衆性ではないことが、歳をかさねるごとにはっきりしてくる。

(2014.6.15)

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具象の不思議

 どれほど古典的な図式であろうとも、哲学が理念で、芸術が具象である、ということで私はいいと考えている。理念と具象。このことは現代の芸術の世界では、もっともっと大切に追究されるべきである。

 もちろん哲学も、西田幾多郎が言うよう、最後には自己の個性を軸に追究していくほかはない。だから二つは大変接近したところにある。しかし西田はそれでも、決して芸術と哲学を同一視はしなかった。具象ではないことを、西田は哲学の抜き難い本質と考える。その矜持は逆に芸術家も持たねばならぬものである。

 具象ということが何であるか考えるところからしか、芸術は始まらない。現代の私たちは理念より「社会」を意識する。けれど理念の方が、芸術にとっては圧倒的な課題である。人間の歴史を渡って、汲み尽くせぬ闘いがある。

 理念と具象の関係に比べれば、「社会」の正体はまだやすやすと説明することができるのだ。「社会」はどれほど影響は大きくとも、最後のところで、芸術の本当の課題にはならない。

 芸術家の切願とは、理念を具象化することである。体を持たない理念に体をもたらすのだ。美はいつまで論じても体を持たない。芸術家が美しい花を描いて、理念を現出させるのである。

 その美しい花は具象であるから、個物である。ただ一つのこの世の花である。にもかかわらず、あの普遍的な美の理念であるとは一体どういうことか。恐ろしいことである。

 本当の芸術家は、美の理念への「途上にある」花、という曖昧さを残しはしない。単なる個物で終わってもいいとは絶対に考えない。彼の描く個物が、この世に理念を体現していなければ芸術にはならないのだ。極限の論理の極限の実践である。

 ただ一人の彼個人が描いたただ一つのこの世の花が理念である。私たちはその神秘的顕現の論理をほとんど解明していない。にもかかわらず、それが実現した作品を多く知っている。結果として、それができるとだけ知っている。

 具象というものの不思議、もう一度この地点に立ち帰って、芸術は問われるべきではないだろうか。時代も社会も超えた課題を追究するからこそ、芸術は本当に時代も社会も超えられる。人間存在に根を下ろすような課題を。

(2014.6.4)

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精神を高く保つ

 志賀直哉がいいのは、その自然な気持ちの高まりで、自分の精神を一等いいところで保っている。自分といいもの、それだけのところに彼は持っていく。

 でもそれは彼が格別穏やかな人格であったということでもなく、幸福な状況であったということでもない。志賀の豊かさを言うけれど、志賀の日記を見ていると、旧家ゆえの苦悩も沢山あるのだ。

 志賀はそういう中にあって、自分の気持ちをきちんと高める努力をしている。怒っても悲しんでも、自分の精神をより一番いい形に。これは見えにくいが、とても大切な努力である。

 怒りや悲しみを否定するのではなく、そしてまた、怒りや悲しみにふけるのではなく。私たちには自然な、いい感情というものがある。自然なのに、それは簡単には得られるものではない。ひたむきな志賀の努力。

 志賀は書けないときは書かない、という姿勢だけれども、いつも気持ちを高めている。ちゃんと書くための努力なのだ。苦しみに身をゆだねる時、私たちはつ い、精神を高く保つことを忘れてしまう。苦悩は芸術と不可分だが、苦しみだけではいい作品は書けない。必要なのはいい高まりなのだ。

(2014.5.12)

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ジャーナリズムの外の文学

「…職業として小説を書くから、小説家だというのもある。習練によってそれは可能である。しかし、ほんとうは、小説家だから小説を書くのである。だから、 それは一生の仕事であり、更にだから、ながい一生の間で、ある場合、小説を書かないという一時期があっても、その人はあくまで作家なのである。」

「作品の商品化などと言うのは、とうの昔のことで、今は作家そのものの商品化だ。新しい作家が新しい商品として次々にもとめられ、派手に売り出され、こき 使われ、そしてすぐ捨てられる。より新しい商品のほうが売れるからだ。流行品のように、消耗品のように、こうして次々に捨てられて行く。
 ジャーナリズムが新しい作家を追いもとめるのは、新しい文学をもとめているのではない。文学として真に新しい小説をもとめているのではない。目さきだけがちょっと変った、しかし本質的にはすこしも新しくはない、それ故、量産可能の小説をもとめているのである。
 作家という職業の繁栄は、実は文学の貧困を招いているのである。」(高見順「作家の職業家と文学」)

 近現代の文学者には、ジャーナリズムについて、ある程度是認する立場と、かなり厳しく拒絶する立場の二つがあって、後者の作家にとっては、「依頼されてする仕事」はそもそも不名誉な仕事だという意識さえある。「売文」とまで彼らは言う。

 我々は現在、ジャーナリズムの外の文学というものを、全く考えられなくなっている。ずっとジャーナリズムの下位にある。文学は高見順の言葉は1960年代、ジャーナリズムは少しか良心的になったと言えるだろうか? つねに何かの「安い代替物」でしかない「書き手」。学問でさえそうかも知れない。

 大手の消費システムから降りようという動きももちろんある。しかしそうした「アマチュア」を自認する作り手は、逆にあまりに隙の多い作品を乱造しがちであ る。非常にオリジナリティに対する意識の甘さが目立つ。アマチュアリズムとは剽窃を是認せよということなのだろうか。決してそうではないはずだ。

「同人誌」というものは、残念ながら現在は悪く使われていることの方が多いようだ。アマチュアリズムこそ、何より自作に厳しいものを求めるのだ。それが誇りなのである。

 武者小路実篤は、ある年、小説は同人誌である『白樺』にしか書かないと決めている、だから大手新聞小説への連載はできない、と編集者に書き送っている。それぐらい同人誌は大切なものだった。

(2014.5.7)

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経済界の外から

 いま、この国では経済界が発狂したように全てを引きずりまわしている。心ある経済人もいるのではあろう、しかし外からはかき消えて見えない。忘れてはならないが、経済界の外はある。学問も教育も芸術も外にある。決して中ではない。

 学問も教育も芸術も、後生に何かを託している。今現在の生の充実の果てに、来るべき同じ志の人間を待っている。だから子どもの幸福を願う。

 なぜ子どもは学校を出て直ちに、上の世代の失策で破綻した社会の労働力にならねばならないか。「大人」として働かされながら、子どもを生み育てられないほど低所得に苦しまねばならないか。

 どれほど覆い隠そうとしても、いま、子どもは現在の幸せも、未来の幸せもすべて失われている。これはどうにもならないくらい真実である。
 ただただ悲しいことである。なのにこの真実に悲しむ大人は少ない。子どもが事故にあったと聞けば、大人は悲しむ。なのに、このわかりきった真実に悲しむ大人は少ない。

 彼らは言う、困難な時代だからこそ、勝ち抜ける社会人になれ、と。見るがいい、彼らは社会を強要しながら、社会全体の幸福など考えていない。これほどあからさまな矛盾に彼らは気がつかない。

「食」を人質とすれば、何を言ってもよいと思っているのであろうか。何をやってもよいと思っているのであろうか。おそらく彼らは悪意など何もない。ただ見ないだけだ。マルクス主義の季節が終わって、最悪の経済だけが残った、と言われても致し方ない。

 経済では人間は決して幸せになれない、これは人文学者の信念である。しかし経済界の側も、「人間を幸せにする」という大義を平然と捨ててはならない。まして依存するものが社会であれば、社会全体の幸福を本気で考えてもらわねば、信念も何もない。

 経済的に勝ち抜け、ということばかり聞かれるが、本気で社会を幸せにしたい、という言葉はほとんど聞かれない。倫理的に勝つ、という非凡な能力を、いまの人間は忘れてしまったのであろうか。

(2014.4.23)

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