上の世代に媚びる研究
人気を取ろうと若い世代に媚びるような真似はするな、とはよく言われるが、逆に権力をもった上の世代に媚びるような研究はするな、ということも言える。ある世代にとって耳障りのいい言説、研究というのはあるのだ。まるでその世代の好悪に寄り添い、問題性を仕方ないものとして肯定するような。
研究者に過去の人間を断罪する権利はない。歴史である限り存在はすべて肯定しなければならない。歴史である限り、だ。現役の権力者は過去の存在ではない。よもや若い世代が、上の世代の研究者の価値観に全面的に同意している訳でもあるまい。ではなぜ批判しないか? なぜ肯定するようなものを書く?
いや批判も書いているのだろう、しかしそれは上の世代がすでによく自覚していた自己批判である。だから下の世代に急所を突かれたという意識にはならない。自己批判劇の共犯に使われているに過ぎない。よくできた後輩なわけだ。
研究は正直、上の世代との対決を完全に喪失しており、上の世代の作った枠組みの中での細かな縮小再生産に入っている。まさしく読まなくてもわかるものだ。論争など起こるはずもない。上の世代は満足していることだろう、下が自分を超える研究を全くする気配がないので。普通は失望するものだが。
若い世代の、先行きの不安さがそうさせるのか、従順なのか、はたまた自身が権力を握るまでとひそかに狙っているのか、それは知らないが、何にせよ面白くない現状である。新しいことをやろうという人間が、上の世代に優しく寄り添ってどうする。しっかり喧嘩して初めて存在意義がある。
(2015.4.16)