Category Archives: Essay

反逆という権威

 私は正直、イーグルトンのような理論には随分批判がある。そう言うと古風な権威主義的文学観に縛られているとよく思われるのだが、それは既に十分崩壊していた。むしろ文学の視座としては、完全に主流であり、一つの権威であった(「反権威」だと説明されたが)。

 小林秀雄のような、本当の意味で「彼は彼にしかなれなかった」という、「作家の顔」を重視する視点というのは、私の世代ではひどく新鮮な議論だったのである。そしてその不思議な作家の「私」のあり方に、驚いた。
 そして自分で、何かしらものを書くようになって、本当に力になる理論とは何か考えたとき、実践的な意味を持つのは明確に小林の理論だった。

 文学を成り立たせる社会的「制度」の解明や、「文学現象」のような視座も無益とは思われない。一つの社会を知る研究のテーマではあろう。しかし、それは文学の実践の理論とは実は大して関係がない、と私は考える。

「芸術を成立させる制度性への自己批判が無い芸術は駄目だ」、現在よく聞かれる芸術の実践のための理論である。しかし、私には、歴史的に良く似た言い方があることが気になって仕方がない。「自らのプチ・ブルジョワ性に自己批判が無い芸術は駄目だ」、というあの主張である。

 プロレタリア文学が、才能ある作家たちを引き寄せながら、ついに彼らの多くの才能を滅ぼす結果に陥ったのは、この論理の悪い使用であった。こうした自己批判を振り切って、ひたむきな芸術への集中と肯定があれば、どれほど良い「プロレタリア文学」が生まれたかわからない。

 小林多喜二は、当時のプロレタリア文学の理論としては仇敵とも言える志賀直哉を最後まで敬慕し、彼の晩年の作品はまさしく「私小説」となった。(絶筆の名作「党生活者」は、その私小説性により当時から評価が割れたのである)

「芸術至上主義」という言葉も私は好きではない。芸術は芸術としてそのまま社会性も、政治性も持つ。それがいくら「狭い」視座の「私小説」であっても。あえて「至上」という言葉を付すことはないはずだ。

 こうした私の感慨は、現在の文学の考え方からは受け入れられないであろう。しかし、繰り返すが「権威への反逆」が権威となっている場合はつねにあるのであ る。90年代に文学を学び始めてからずっと、私の違和感はそこにあった。上の世代と同じ反逆を続けていたら、単に優等生である。

 私より若い世代は、むしろ抵抗無く志賀直哉の作品を良いと思えるようだ。それを見て権威主義の亡霊だとか、制度的文学観に毒されているとか言う方が大変な 世代的偏見があるように思える。自分たちの世代を覆っている視座にこそ自己批判はあるべきではないか。自分はともかく若い世代と話すとそう思う。

(2013.1.20)

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虚構にして現実

 文学はよく、机上の空論の代名詞とされてしまったり、非現実の謂いとされてしまったりする。「むしろ現実的でないから、自由な想像力の可能性がある」という、嬉しくない賞讃もされる。しかし文学は決して非現実を目指すのではない。そんな自由は要らない、と本当の作家は言うだろう。

 どれほど非現実的であっても、現実を目指しているからこそ文学には存在の意義がある。幽霊がいないと思って書く作家は、いくら幽霊を上手に書けてもそれは究極幽霊にはならない。幽霊を出現させられるのは、幽霊を現実と思って向き合う作家のみである。

 もう少し言えば、文学と現実の関係性はそうそう単純ではない。「文学の外」に現実があって、文学がそこからわずかに像を「写す」だけだ、と思っていては文学に現実は宿らない。文学は我々が現実と思うものと本気で闘いを挑まぬかぎり、真の座に着くことはできない。

「虚構」という言葉は便利ではある。可能性の幅が随分大きいようにも思える。しかし「虚構」の名の下に逃げることがたやすくなっているようにも感じられる。作家は自分の作品を現実だと言わなければならない。

 古今の優れた作家は必ず、自分の作品は一つの現実だということを明確に言っている。受け手がそれを理解せず、「虚構の可能性」という形で曲解してしまうのである。言葉通り聞けばいい、彼らの覚悟の証なのだから。

「本で読んだ知識では駄目だ、実際に経験しないと」という戒めの伝統は長い。けれど経験の乏しい私が、自分の経験以上の出来事に向き合うことになった時、 支えになったのはやはり文学である。文学に現実が宿っていた、だから私は自分の経験以上のことをわずかでも経験していたと正直に感じられる。

 不思議な話だけれども、ある時写真で見た海の風景を、私はかつて自分の目で見たことがあると思った。しかし何処で見たかはどうも思い当たらない。よく考えると、それは鏡花の小説の描写だったのである。挿絵も写真もなかった。鏡花の文が一つの現実の記憶となっていたのである。

(2013.1.17)

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文学の内にはすべてがある

 芸術とは対象を本気でつかみに行くわけで、それこそコミュニケーションの最も高度なあり方である。コミュニケーションという言葉は好きではないが。人間一人書くとき、どれほど相手のことをわからねばならないか。わからないと言いたくなっても、わからねばならない。でなければ書けない。

 コミュニケーションなど事新しく言わなくても、ずっと文学者は絶えず命がけでやってきた。そこを理解せず、「文学の外」のコミュニケーションを過度にもてはやしてはいけない。

 それは文学や芸術だけではなくて、学問とて同じことのはずである。歴史学は過去の人間のことをわかろうとしているはずである。自分ではない人を。ないものを。
 そういう知や芸術の切々とした道が、人間関係の脱落者の如く茶化される淋しい社会になっている。無論学問の側にも問題はあろうが。

 文学の内にはすべてがある、と宣言するのは勇気がいる。文学を選んだ人間がそれを言うのはあまりに傲慢に映るかも知れない。けれど、誰であれ、ある専門を選んだ人間は、自己の選んだものに対し、それを言ってほしいと思う。歴史家なら、歴史の中にはすべてがある、と。

 それは傲慢ではなくて、自分が選んだものへの敬意であり、責任なのだ。専門に携わるものが、力を信じずして、誰がその専門を信じるだろうか。ほかにはいないのである。

 高見順が「文学者の神は文学でなければならない」と言ったのは、そういう意味である。大変な決意だが、だからこそ高見の言葉は力を持つ。

 そして本当に信じることができたとき、はじめて他の専門も同じこと目指しているとわかるのであろう。

(2013.1.8)

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わかりやすい人間像

 新聞や雑誌記事、新書やドキュメンタリー番組で語られる問題がそっくりそのまま出てくる文学作品がどうも多くなった気がする。人間像も然り。

 それは同じ「現代社会」の問題を共有しているかどうかはひどく疑問だ。むしろジャーナリズムが作り上げた問題群や人間像を単に無自覚に受容しているだけではないかと思う。

 そうした作品はとてもわかりやすい。その作品を読む前からよく知っていたことが書いてあるから。でもリアリティがあるようで、リアルではない。安心して読めるが、何の驚きもない。

 個々人の生の実感で世界を捉えていくのだから、本来文学作品は読者にはわかりにくい。しかしだからこそ抜き身のリアリティがある。そういったものが信頼に値する芸術だ。ジャーナリズムが評価を書きやすい作品とは、一体芸術として独立しているものだろうか。

 作品自体はシンプルで力強く、しかしにわかに何が起こっているかわからない、そんな作品が欲しい。

(2012.12.20)

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リアリティの回復

 リアリティの回復。月並みな言葉と言われても、やはりそれが、私たちの世代が目指さなければならないものだと痛切に思う。これほどアンフェアな状況が至るところに噴出しているのに、不思議と私たちは「痛み」だと気づけない。

 リアルをつかむ理論を、我々は思想史的に喪失した世代かもしれない、しかし、ならばそれぞれの生のリアリティを研ぎ澄ませばいいことなのだ。その方法を文学とも言った。

 リアリティはそう簡単には見出せない。しかし見えていないかと言えば決してそんなことは無い。たとえば、嘘のようだが、数千光年先の星を私たちは自分の肉眼で見ている。あまりに遠いが、確実に星と自分の目は真っ直ぐつながっている。文学はそんな営為にも似ている。

(2012.10.1)

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孤独の深い森

「群衆の中での孤独、歴史の中での孤独と、言うにはいくらでも言い得るでしょうが、なんか甘っちよろい感をいだかせます。芸術上の孤独とは、恐らく大自信の受ける報酬なのでしょうが、この孤独こそは光芒を発するもののようです。
 独白ということを追いつめてゆくと、孤独の深い森があり、それは結果としては奇峭でもなく、普遍への道につらなっていることが分りますが、その深い暗い森こそ、大概の人々の住居を拒むような場所にちがいありません。」(草野心平)

 私は現代、本当に孤独な仕事というものを見たい。
 名も無き学生たちが始めた謄写版刷りの詩誌『銅鑼』を見ると、芸術上の孤独の極北にいる草野心平と宮沢賢治が、孤独でいて、それでいて共にいたことが、無性に心を打つ。

(2012.9.25)

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翻訳について

 翻訳においては、言葉の意味を伝えようとして、言葉の効果を伝えることを失念していることがある。意味が一見曖昧に見えても、効果が合っていれば正確に意味が取れるのである。日本語に長けていないとそれはできない。

 現代思想の原典を読むと、彼らが如何に彼らにとって自然な語を用いているか、ということに気づく。自然な語に、それのもつ本来の効果と、はっとさせるような新しい効果の二つを与えているのだ。それは単純に違和感を強調して喚起させるようなやり方ではない。日本語の片仮名を悪く使ってはいけない。

(2012.9.13)

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実体の言葉

「総て生きる言葉というものは形容ではなくて実体であろう。実体そのものを見る如き適確な具現であろう。実体自身が模倣したいと誘惑を感じる程の新しい息 吹きであろう。言葉が始めて言葉として存在権を主張し得るそんな言葉を彼は「春と修羅」のなかでずいぶん吐き出したものである。」(草野心平)

 言葉が実体であると、難なく信じられる人がいて、そういう人たちを私たちは詩人と呼ぶ。しかし希有なことだ。幻影を幻影だと言うことしかできなかった、そう絶望するのが普通なのだろう。だがそれでは淋しい。我々もまた、言葉を実体にせねばならぬ。

(2012.8.31)

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前世代の常識

 川端康成が「新文章読本」で、近代以降の日本の小説の「文章上の功労者」として、その文体を特に讃えるのは、泉鏡花、徳田秋声、武者小路実篤、志賀直哉、 里見弴、菊池寛、宇野浩二、横光利一である。現代の評価軸とは大きく異なる。つまり、川端が見えて、現代見えなくなっているものが確実にある。

 ある世代があまりにも基本的な前提と思って言及しなかったために、その次の世代に引き継がれなかったものがある。前の世代からすれば言うのも野暮なもの、しかし次の世代には全く未知なもの、歴史は難しい。

 川端康成などは、野暮と知りつつ、戦後必要性を感じて、次の世代につなぐ仕事をし続けたわけで、私たちにとっては大変有難い人となっている。

(2012.8.29)

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文学と直接経験

 文学をやろうと決めてから、私は絶えず文学を探している。小説や詩の中だけではない。街の会話に、過去の文字に、子どもの声に、ひそかな手紙に、言葉があるところにはすべて。文学という肩書きが無くても、不意に目が覚めるような真実の言葉があらわれる。見逃すまいと日夜目を凝らす。

 さらに言えば、言葉の無いものにも文学があることがわかってきて、世界は一層不思議な姿に変容していった。それとともに単純な力強さが増していった。

 こう言うとまことに神秘主義的に聞こえるのだが、ある種の直接経験を否定しては、文学は成り立たないだろう。直接経験、純粋経験とも言うべきか、それを描いた文学作品は古今非常に多いのだ。むしろ王道の場所を占めている。

 言葉を我々は不自由と考えるのか、自由と考えるのか。言葉は我々にとって、絶望的な縛めとなるのか、最大の突破力となるのか。つねに前者の方が、苦悩する我々には信じやすい。しかし後者を信じなければならない。過去には沢山の作家が実現しているのだから。

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文学はメディアではない

 私は文学をメディアの一つと言うのが嫌である。文学をメディアの一つと見なす視座が嫌いである。そう言わないことによって割を食ってもいる部分もあるだろう。しかし自分が終生の仕事として選んだものを、時代が無責任に乱造する媒介物と一緒にすることは絶対に出来ない。

 文学に傲った権威を与える視座だとも今の人は言うだろう。しかしそれは自分が選んだものへの矜持であり、責任である。自分が見いだしたものは、それほど簡単に代えの効くものではない。少なくとも作家は、自分の作品がメディアの一つとなることを決して望まない。

 私たちは文学というものの真理を知りたいのだろうか? それともこの社会の手近な見取り図を知りたいのだろうか? 後者なら別に文学を見なくてもいくらでもわかるだろう。そんなもののために文学を賭けるわけにはいかない。文学者は最後まで文学者として扱わねばならぬ。

(2012.8.26)

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大人不在の文学

 現代の小説を見ていると、非常に子どもを主人公にした作品が多い。子どもとは、主に十代の人間である。作者は十代かというとそういうこともない。二十代なら身近な経験の記憶から自然とも言えようが、三十代、四十代の書き手が好んで書いている印象がある。これは不思議なことと思うべきである。
 そして大人を主人公にした作品は極端に少ない。「自身を大人と思えない」大人の主人公はまた多い。

 大人が子どもを書くのは大切である。文学は子どものためにある、といっても過言ではないのだから。しかし、子どもが書かれるためには、ちゃんと一方の極である、大人が必要なはずである。文学の世界で大人は何処へ行ってしまったのであろう?

 大人をいつまでも醜い社会の権化であり、永遠に反発の対象として描き続けて、何が生まれるだろうか。大人は子どもにとって必ず抑圧的存在となる、しかし一方で子どもが進むべき成長の姿も示す存在である。

「自分は大人ではない」と、一見子どもに共感的に寄り添うようで、肝心の成長の理想を示さない物語で子どもを包み、結果として大人になった時に、現実社会においていきなり妥協を強いるような状況になってはいないか。

 人間は絶対的に歳をとる、子どもは大人になる。この事実だけは動かしようがない。子どもはちゃんとその事実を受け止めているし、みな、悩みながらも成長したいと願っている。その自然にもたげる意志を打ち落とすような流れが現代どうにも強い。

 二十代になった書き手が、十代を振り返って書くとき、自分の成長を確かめているようで、とてもいい姿勢になっていることが多い。では三十代、四十代には何の成長があったか。これから自分はどんな人間になろうとしているのか。自分はどんな大人なのだろう。この問いから逃げてはいけない。

 高校の時の世界史の先生は、授業の際、エイゼンシュタインの映画のすばらしさについて、長い時間をさいて語ってくれた。高校生の私はその先生を「大人」だと憧れの目で見たのである。

(2012.8.9)

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時代から「出た」言葉

 よくなめされた文章を読みたい、と思うのは現代ではアナクロニズムと同一視されてしまうようだ。「現代的」用語を駆使しないと思想的にも進んでいると思われないのだろうか。

 大正昭和期の作家の文章というのは、抜群に日本語として上手い。上手さというのは、一つ一つの言葉を完全に作家が自分の手の内に入れて書いているという点である。自分の意図も効果も、読まれたときの印象もすべて。だから言葉として全く過不足がない。

 彼らは仰々しい言葉を安易に使うのを最も嫌う。大きな言葉には大きな力がある、激しい言葉には激しい力がある、だから軽々しくは使えない。それにふさわしい時にしか絶対に使わない。

 また文章が生硬になるのを特に嫌がる。生硬さというのは、言葉を半分しか使えていないから生じる。意味はあっている、しかしその効果を理解していない、だからちぐはぐな形になる。そのために、彼らは自分が完全に手綱を取ることができる、ふさわしい言葉を懸命に探す。

 そういうよくなめされた大正期の文章(特に白樺派)を「思想的未熟」と侮って、生硬な文章を乱立させたのがマルクス主義の流行期だった。現在、当時の誌面を見ると、その主張への評価という以前に、仰々しい言葉の使い方に当惑するだろう。

 誤解を招きかねないので言っておくが、私は小林多喜二や葉山嘉樹といった作家の文章を、純粋に文学の視点から敬愛している。特に葉山嘉樹の文体は、近代文学において傑出した一つだと思っている。もちろんマルクス主義の文脈からもいい文章は沢山生まれた。

 しかし社会全体に流布した文章を見ると、決して良い傾向であったとは思えない。実際、現在の我々はほとんどそれらが「読めない」。意味はわかるが、同じものを感受できない。時代の文章だと見なすばかりである。その現象が今の我々にも起こっていないか、と言いたいのである。

 自分の文章に、時代の流行の影が落ちていることは、普通ひどく嫌なもので、時代というものから人間が逃れられないからこそ、作家は必死で格闘する。しかし現代は、安易に時代を受け入れよ、という姿勢が多くなった感がある。

 小さな教員として日々「現代」と向き合いえば、やはりこの「現代」が歴史的に良い時代とは感じられない。もし「現代」が良い時代ではないと本気で思うのなら、子どもたちには「現代」から出ることを教えなければならない。

「代案」の無い闘いが続く。「現代」の「代案」はあるか? 無いとして我々は「現代」の内から出ない。しかし檻の天井は開いているかもしれないのである。どうして過去の優れた営為を考えることさえ拒絶するのか。歴史は私たちにとって最も身近な「代案」の一つではないのか。

 言葉を補えば、時代から出ようとした過去の先達の闘いこそが、「代案」となり得ると言うことである。だからかつての優れた作家の文章を私は大切にする。

(2012.8.8)

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成熟と文学

 漫画は子どもも大人も理解できる。しかし文学はある年齢以下の子どもには絶対に理解できない。漫画の良さは子どもも大人もわかる。しかし文学の良さがわかるまでには、子どもは相当の成長をせねばならない。この違いは重要である。

 漫画に大人が見るべきものがない、というつもりは全くない。しかし「大人にしか理解できないもの」と決して同じではない。今となっては風前の灯火の「大人にしか理解できないもの」という線を、子どものためにも守りたいのである。

 つまり「大人になって読むもの」が無くなってしまうわけであるから。成長の目標が一つ失われてしまうのである。

「成熟」という言葉はそれこそ戦後消費されてしまって、あまり好きではないのだが、やはり人間的成熟は生の目標として大切である。「子どものままでいろ」という目に見えない社会のかけ声の中で、子どもはそれでも成長したいと必死でもがいているように感じる。

 その観点から文学を読むと、どんなに優れた作家であっても、二十代の作品は二十代の作品である。どんなに優れた作品であっても、成熟途上の二十代の顔がある。

 やはり人間的成熟を遂げた四十代、五十代の作品が私たちの仕事の目標として、幸福な地点へと導く。(六十代以降はまた別種の優れた世界が広がるわけだが)そのためにも良い二十代、三十代を送らねばならない。

 研究者が曲がりなりにも教育者であり、知識人だと言うのなら(趣味人だと言うなら好きにしたらいいが)、三十代、十分不快な社会の片棒を担いでいる存在として、事態の打開に挑まねばならないだろう。三十代の人間の責任はもう大きい。沢山の子どもが生まれ、控えている。

(2012.7.27)

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他人の文体に入り込む

 自分にとって何かをあわらす言葉は一つであるし、文体は一つである。ところがそう信じていても、違う言葉で言う時がある。直接相手に話す時がそれである。場合によっては真逆の言葉を使うことさえある。何が起こっているのかわからず、不思議だった。

 自分の言葉を封じて、「わかりやすい」言葉を使おうとする非文学的な発想なのかな、と良くは思っていなかった。しかしどうも違うようだ。それは社会に共有された「わかりやすい」文体、ステレオタイプな文体を使うということではない。

 実は目の前の相手個人の文体に入り込んで、説明しているのである。その人の文体において、どういった言葉であらわされるか、ということを会話するとき人間は試みている。社会で共有された文体というのは、具体的な人間相手の現場ではほとんど役に立っていない。実際相手にとってもそれは意味がない。

 目の前にいる彼彼女の文体において語らないと伝えるべきものは伝わらない。つまり本当は個人同士の文体しかない。相手にとって同じことが感じられる言葉は 何か、相手の文体になる、これは大変な困難である。演劇のようだ。しかし多くの人間が自然に果たしていることでもある。あえてできると言いたい。

 ちなみに文章というのは、そういう現象は起こりにくい。相手がいるかいないかわからぬ。沢山の相手でもあり、独白でもあるかもしれない。そうした時はむし ろ自己の文体が貫かれる。どちらがいいということでもあるまい。他人の文体に入り込もうとすることも、芸術の一つであろう。あるいは小説の。

(2012.7.20)

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自己が宿る時

 面白いことに、芸術は自己のための表現でありながら、「自己」が表現の目的となった場合は、自己は出てこないのである。「自己の表現」には小さな誤解が生じやすい。

 海が好きな人間が、「海が好きな自分」を表現しようとすればおかしなことになる。その自分は空虚な自己である。海が好きなら、海のことだけを考え、ただ海を表現すればいい。そこに彼の自己が宿る。

 作品が自己の生になっているという希有な人間は、実は作品のことしか考えていない。自分の全てを注ぎながらも、同時に自分のことは忘れている。目的は作品の成就なのである。そういう作品にこそ自己が宿っている。ほかのことがおざなりの人生でも、作品のことだけ考えられたら充実の生である。

「自己の声」や「自己の主張」も同じことで、実は自己が愛し信じた理念に、自己を忘れて真っ直ぐ向かっている時に自己が宿る。自己を手にするということは、鏡で自分の姿を反省的に点検するということではない。

(2012.7.19)

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調和的な生

 本当にいい作品を書くための努力とはどういうことか、若い時から随分考えてきたけれど、結局は「ちゃんと生きる」といったところに落ち着いた。

 ただ無闇に書き続けるのでもなく、読みあさるのでもなく、また校正し続けるのでもなく、ひとえに自分の生を充実させるということ、そこにいい文学がある。

 大杉栄の考えであるし、志賀直哉の生き様であろう。新しいことではない、しかしやはり生の充溢の瞬間に発せられる言葉が、最も美しく強いという事実は、認めざるを得ない。

 自分にとってのそういった充実が一体何処にあるのか、それを考えて悩む訳だが。生の充実の在処は、既存の幸福の概念とはよく隔たっている。一方で隔たっていない場合もある。

 破滅的な生き方も、充実を探る姿勢とすれば、何も批判はないが、充実を放棄して「破滅的たれ」というのは小児的である。晩年のゲーテの境地、晩年の志賀の境地、その異様な「調和」は、作家の至るべき場所である。

 言葉を発するのは人間である、一人の人間である。その人が生というものを真剣に把捉したということ以上に、強い力になるものはないのである。その時はじめて、死さえ書くことができる。

(2012.7.16)

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思考の淵源

 どんなに批判したくとも、同じ土台の上では根本的な批判ができないということがある。同じ思考的枠組みの中にいて、その内部で議論を争うことになってしまう。どれほど議論を交わしても、枠組みを強化するだけで、決して出られない。

 現代の閉塞を私はそのように感じている。一見我々は沢山の批判の武器を持っているようで、実際には根本的な部分を傷つけることができないよう去勢されてい る。反逆さえ「決まった形」がある。闘いはお互いよく知っているやり方で行われ、同じ土台から降りることがない。否、降り方を知らない。

 フーコーが指摘した生権力とは、そうした自身の内部にまで浸潤した恐ろしい逼塞のはずだった。なのに我々の多くが、かつてよりもっと「自由」になったと信じている。

 今の我々の思考の枠組みの淵源はどこに求められるだろうか? 70年代や80年代だろうか? そんなはずはない。そのあたりに転換があると思うのは、随分 同時代贔屓な見方である。人は自分の生きた時代を大きく捉えたいものだ。しかし少なくとも第二次大戦までは遡らなければならないだろう。

 文学史や思想史を見れば、戦争を挟んで、どの思考が選ばれ、どの思考が放棄されたかは明白である。そしてあの時選ばれた思考を土台に、今日の我々の思考まで、ある意味同じものが生え続けてきた。「反逆」さえも。
 今日の思考に(社会に)閉塞をおぼえるならば、淵源まで遡って、その時にあった違う思考の選択肢をつかまなければならない。全く新しい反逆の可能性は、そこにしか残されていないであろう。今の思考に居座って、「内破」できるなどと、安易に思わないことだ。そうやって沢山の人間が敗れてきた。

 もっと異なる優れた思想があったかもしれない。もっと根本的に異なる文学の道があったかもしれない。私たちが歴史を味方にできるとすれば、そうした点にある。檻の窓は本当は空いているかも知れないのである。恐ろしいはずの歴史が、時に人間を自由にする。

 現代では大変孤独な道であっても、過去に沢山の人間が同じ道を行っていたことがわかれば、不安は感じないものだ。百年前と、百年あとと、それが見えるような仕事がしたい。草野心平なら一万年か。

(2012.7.11)

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明滅する語の広がり

「さを」「今日、此語から得る言語情調は、深青であるが、単に青い色であらう。」(折口信夫「万葉集辞典」)

 文学はまさしく折口が言うところの「言語情調」を如何に制するかの闘いである。意味以上の言葉の力。我々は「さを」から、「青」よりも深い青を感じるようになっている。つまり意味を超えた言葉の体を見極めて、使わなければならない。

 言葉の印象とは、実際は、意味はまるで違うが、一文字違いの、隣あう言葉が重要であったりする。あるいはよく似た音の。言葉自体が引き合う別の言葉の印象もすべて含めて用いなければならない。一つの言葉が喚起する別の語への広がり、その濃淡を的確に捉えて詩は書かれる。

 そして文章とは、本質的にはやはり初めから終わりに向かって進んでいくものである。このとき言葉の印象の持続力が問題となる。最初に書かれた「青」は、何字先までその青さの印象を残しているか。次の言葉の印象と影絵の光のように重なりあい、どのくらいの時間的残照を見せるのか、が重要なのである。 各の時間的長さをもって、生起しては消滅してゆく、その間詩人にとっては言葉は延長をもったものに思えるだろう。どちらかと言えばもっと「力」そのものに近いものだから、光のほうがふさわしいだろうか。「せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける」青い照明―?宮沢賢治の言葉は、言葉の秘密をよく描く。

 現代は「言葉遊び」をしている作品を過剰に評価する傾向が強いが、一語が引き連れる沢山の語のイメージを必須のものとして扱うのは、詩人としては普通のことなのである。どの詩にもそれはちゃんと行われている。 肝心なのは、詩人にとっては「語の印象をぶれさせる」気は無いと言うこと。詩人が実現したいのはあくまで強力な一つの印象である。「多様な意味を持たせているから優れている」ということでは絶対ない。詩人はしっかり言葉の手綱を取るために詩を書いている。 明滅する語の広がりを確かに制して、ただ一つの印象を生み出す、それが詩人である。言葉をぶれさせ、曖昧にする方が、実は簡単である。一語から喚起される他の語は異なる意味と印象を持つ、しかしそれさえ、詩人の手の内に入れる。そのことに我々は感嘆する。

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芸術をもって闘う

 ほとんど今の人間が知らない事実だが、「最後の文士」と言われた昭和の作家・高見順は、「静かなデモ」を行なった。作家数人が黙って歩くというもの。

 作家として、決して安易に言葉を使ってはいけない。作家は、最初から最後まで個人であって、決して大衆に紛れてはいけない。作家として賭けるべきは作品である。自分の仕事に甘えのない作家だからこそ、沈黙の歩みに価値が出る。それは孤高の意志表明である。

 我々が闘うやり方は、もっとそれぞれの生に即して考えられねばならない。独自の生こそが独自の言葉を生み、独自の闘いを生む。それぞれの生から遊離した言葉は、闘いは、ついに実を結ぶことがない。

 闘うべきである。しかし闘い方こそ、我々は個々の信条を賭けて全力で追究せねばならない。そして執拗に勝つことを求める。勝たなくとも意味がある、という意識では単なる感傷的なロマン主義である。

 高見順は大衆とも、大衆運動とも、深く関わってきた世代の文学者である。その問題への透徹した見極めを軽んじられるほどの論理は、私たちにはない。

 一方で、若い人の芸術上の、学問上の義憤を、自身が社会的に認められないことへのルサンチマンだと嘲笑する傾向が近年特に強い。そうした理解を向ける人間こそ、自身の社会的栄達のみ重視していて、芸術や学問がどうなろうと関心がないのである。

 芸術も、学問も自己のための仕事である。しかしそれは自己を超える高次のものに向かう自己を大切にするという意味であって、自己の社会的栄達など目的でもなんでもない。自己の社会的栄達が無くても、自己の生きる世界の芸術や文学が豊かであれば、十分幸福なのである。

 ルサンチマンと嘲笑う人間たちは、そうした境地を知らないことを自ら明かしている。芸術と学問を取り巻くこの風潮は、せめてもう少し変わりはしないか。我々は自己に即き、そして自己を超えたもののために本気で憤るのである。

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