私はナショナリストではない、ただアイルランドにおいてはさまざまな理由で差し当たりナショナリストと称しているだけなのである(「わが作品のための総括的序文」)
晩年のイェイツはそのような言葉を残しているが、何も驚くべきことはない。イェイツの生はアイルランドにあり、イェイツの言葉はアイルランドにあった。イェイツは、アイルランドの世界に自らの文学のすべてを賭けた。だがそれはアイルランドのためではない。文学のためである。
我々は多かれ少なかれ、生まれ来た土地に愛着を持っている。生まれ来た土地の世界を、肯定したいと願っている。見えない血脈さえ愛せるなら愛したい、とどこかで思っている。だが、そうした懐かしい、生まれた土地、故郷への愛が、あまりに芸術上の足枷になることもよく知っている。芸術を思う人間はすべて、一度は、そうした故郷への愛着に幼さを見るだろう。幼く見えるのは行過ぎた内省ではない。ほとんどが実際幼いのだ。ナショナリズムなど、何の芸術的高みを見せはしない。生まれた土地から出られなかったという閉塞の宣言である。生まれ来た土地への愛着を否定しろと言うのではない。そっと懐かしさを大事にするがいい。それは自然なことだ。自分以外の人間に強いねばよい。しかし芸術の世界に持ち込むことではない。
イェイツは文学を書きながら、生まれ来た地、アイルランドを愛した。だがそれは生やさしい愛着などではない。アイルランド生まれの作家がアイルランドを歌うこと、何度と無くイェイツはナショナリストと呼ばれたことであろう。しかしイェイツほどの作家が、ナショナリズムの限界を知らぬわけがあるまい。イェイツはあえて、アイルランドを選んだのである。誰よりも厳格な文学の水準において。イェイツは恐らく世界で最も、アイルランドの世界に、厳しい目を向けた人間の一人であろう。自らの愛着の一切を幼い感傷として捨て去ってなお、芸術として見るべきものがあるのか、執拗に問うたはずである。
そうしてイェイツは、熾烈な芸術の秤にかけて、なお鮮やかなアイルランドの世界を見出した。草の間に妖精の飛びかう世界に、真理への光る糸口を見出した。もはやそこに、アイルランド生まれの人間たちにとって、懐かしさをそそる優しさなどは残されていない。むしろそんなアイルランドの世界は、イェイツも知らず、誰も知らなかったのだ。
日本において、保田與重郎が最後まで劣るのは、芸術の上で、幼い愛着を断ち切れなかったことにある。日本の世界が、万葉の世界が本当に真理に至ると思えるなら、「侘しい日本を愛する」といった言い方などする必要はない。むしろ最後まで、芸術の水準の上で「日本的なもの」を信じられなかったところに、保田の弱さがある。保田が愛していたのは、「少年の日の思い出」であり、芸術の外の「日本」である。皆に共感を訴えかけねば信じられないものだったのである。
折口信夫はイェイツとよく似ている。彼も極めて厳正な眼で日本を見た。やがて現われたのは、誰も知らず、また誰も共感を寄せられない、かそけき水の滴りに似た日本の世界だった。そこに折口もまた、真理への路を見た。折口は保田に比べる術もなく、文学者であり、静かで強靭な芸術家である。
我々は、文学の上で、生まれ来た土地を語っても良い。生まれ来た土地に真理への糸口を求めてもよい。だがそれは、何より厳しい姿勢を要する。故郷を捨てたと斜に構えるほうが、いくらか安い道であろう。それでもあえてイェイツのような道を行くのも、生に強さを与える。
イェイツの名詩、
An Irish Airman Foresees his Death
I know that I shall meet my fate
Somewhere among the clouds above;
Those that I fight I do not hate,
Those that I guard I do not love;
My country is Kiltartan Cross,
My countrymen Kiltartan’s poor,
No likely end could bring them loss
Or leave them happier than before.
Nor law, nor duty bade me fight,
Nor public men, nor cheering crowds,
A lonely impulse of delight
Drove to this tumult in the clouds;
I balanced all, brought all to mind,
The years to come seemed waste of breath,
A waste of breath the years behind
In balance with this life, this death.
戦う者を憎んではいない。
守る者を愛してはいない。
かの言葉は、第一次大戦に行くアイルランド人兵士の立ち位置を描き、そしてそれ以上のものを描いている。ナショナルな眼差しで雲の中のアイルランド兵士を捉えるならば、感傷はあるが、何も強さを生みはしない。かの言葉が、あらゆる土地から生まれた、あらゆる兵士たちの、一つの瞬間の真理を捉えているからこそ、我々を深く静かにさせるのである。それが、イェイツにとってアイルランドの名であらわされるべきものであった。