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私小説の意味

 高見順は戦後の私小説の閉塞を批判した。「私」以外書けないのでは駄目だと主張した。しかし彼は絶対に私小説の動機を守ろうとした。「私」を手放してはならないと言い続けた。

「私」が「私ならざるもの」になること――それが高見順の小説の理想である。「私」を捨てて「私ならざるもの」を追ってはいけないのである。「私」さえ書けない者が、「私」以外を書いても嘘となる。

 作り手としての仕事の願いは、「代わりのない」ことである。どれほどもてはやされていても、実は代わりのある仕事は沢山ある。同じ欲望を時間差で満たして いるだけ、という。今自分がやらなくても、いずれ誰かがやるであろう。今忘れられているが、かつて同じものはあった。これは淋しい事態である。

「代わりのない」こと、オリジナリティということ、これは容易ではない。人生を賭けても、簡単につかめるものではない。だからこそ、それを知って、自分の 生の一回性に賭ける私小説の動機は重要なのである。自分がいるということ、そしてただ一人の自分が死ぬこと、そこに「代わり」はない。

 何の文学的「教養」がなくても、その人が全てを賭けて書いた文章は強く心を打つ。「文学者」でなくても、それは文学なのである。私は歴史をやってきたが、 惰性で書かれた大量の文章の中で、名も無き人の文が、ごく一瞬異様な光芒を見せるのに出会うことがあった。私は迷わず文学と呼ぶ。自らの生の一回性を賭けて書かれる文章は、すべて文学なのである。

 文学は「真実らしく書くこと」ではない。「真実を書くこと」である。その真実とは何か。役者は演技で涙を流す。しかし本当に悲しい。その悲しさは真実である。文学も同じことである。演技は嘘ではない。「私」ではない人物に、「私」の真実の悲しみが宿る。そこに「私」の一回性が宿る。文学の条件は、「虚構」か「虚構でない」かというところにあるのではなく、「私」が生きているか否かにあるのである。

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芸術と窓

「…今までとりあげて来た歌々は、強く個性を出し、自分だけの窓を持っていて、じっと物を見つめている。そう言う先人の瞳が目に見えるようである。」(折口信夫)
 自己が一つの窓になるということが、芸術の理想のようにも私は思っている。ただ一つの窓として、対象を通す。鏡ではなく、窓。
 芸術とは自己を窓とすること、と言いたいのは、自己と対象との関係をよく説明できるからである。
 芸術の願いは自己に即くことであり、対象をつかむことである。この二つの願いは一般には矛盾をなしてしまう。しかしこの二つは矛盾無く実現できる。自己が窓となることによって。
 暗い部屋に一つだけ窓が開いて、そこから美しい夕空が見えている。人は必ず窓から空を見るだろう。そして夕空を見つめる時、窓の存在を意識することはない。夕空だけを見ている。しかし窓が無ければその空は見えなかったのである。そこにある、ただ一つの窓。
 この窓こそが自己である。自己が無ければ夕空を見ることはできない。しかし我々があくまで求めるのは空であって、自己の存在は忘れている。自己は最後の目標とはならないのである。自己の存在は問題とならないほど、対象までまっすぐと続く意志。けれどその窓は必ず唯一の自己なのである。
 鏡より窓と言いたいのは、鏡は対象を映すだけであって、対象までつながっていない。そこにあるのは鏡面であって対象ではない。幻影の謂いとされてしまう所以である。しかし窓は、遠くとも対象まで一続きにつながっている。いま届かなくても届くことができるかもしれない。そして対象から風が吹く。
 自己でありながら、自己を忘れて対象を見つめるという姿勢が、私は理想のように思える。自己は絶対条件である、しかし自己は目標ではない。対象が目の前に美しい姿を見せるとき、自己の姿を見過ぎることはない。自然に対象に手を伸ばせば良いのである。

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純文学と読者について

 丸山真男が高見順に「どういった読者を念頭において書いているのか」と尋ねたとき、高見は「自分のために書いている」と答えた。

 近年「自分のために書く」という姿勢は、単なる自己満足やナルシシズムのように見なされることが多くなった。「社会のために」「大衆のために」と訴えた、丸山の時代以来とも言えるだが「自分のために書く」ということは、ナルシシズムではない。本当に「自分のため」だけに書くことは難しいのだ。

 自分の作品が、誰かに作用し、誰かの感情を動かすことがあれば、非常な喜びとなる。一人の世界で作りたい人間などいない。あらゆる仕事同様、何らかの反応も、手応えも人間はつねに欲しい。求められれば応えたい。自分の仕事がもたらした意味を目ではっきり見てみたい。

 しかし、そうした動機はあっという間に反転する。「誰かのための仕事」は、すぐに、「誰かのせいで駄目になった仕事」になる。「読者のために書く」ということは、責任を読者に負わせることでもある。読者が求めたから、時代が求めたから、大衆が求めたから、この作品はこうなった。そうした意識が深く作家のうちに根ざしてしまう。

「自分のために書く」とは、すべての責任を自分で負うことである。自分だけが望み、自分だけが目指し、そして自分だけがその達成の度合いを知っている。自分一人が望んだことなのだから、付随する悲劇があっても、すべて自分の責任である。誰のせいでもない。それを知って、あえて書くことである。そうした背水の陣を敷いた姿勢だからこそ、文学は力を持つ。安易に誰かに責任をゆだねてはいないのである。

 「自分のために書く」とは、他者がいない姿勢ではない。むしろ自分のうちに強力な他者を作り出さねばならない。最大の批判者を自分のうちに持つのである。最も遠い読者は自分のうちにいる。

 作家はやはり競技者に似ている。自分が何処までゆけるか、ただそれだけが問題である。声援者には感謝しても、声援者のために走る人間はいない。そうした冷厳な強さが引き起こすものがある。

 出会うこともなかった。話すこともなかった。同時代にさえ生きていなかった。あったのは彼の作品だけである。しかし話を交わした沢山の人間より、はるかに重大な意味を持つことがある。本当の文学の読者とは、そうした存在である。

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スピノザと文学者

 定理一八 何びとも神を憎むことができない。

 証明 我々の中における神の観念は妥当かつ完全である(第二部定理四六および四七により)。ゆえに我々は神を観想する限り、その限りにおいて働きをなすものである(第三部定理三により)。したがってまた(第三部定理五九により)神の観念を伴ったいかなる悲しみもありえない。言いかえれば(感情の定義七により)何びとも神を憎むことができない。Q. E. D.

 系 神に対する愛は憎しみに変ずることができない。

 備考 しかし次のような駁論がなされるかもしれぬ。我々は神をすべての物の原因として認識するのだから、まさにそのことによって我々はまた神を悲しみの原因と見るものである、と。だがこれに対して私は次のごとく答える、我々が悲しみの原因を認識する限り、その限りにおいて悲しみは受動であることをやめる(この部の定理三により)。言いかえればその限りにおいてそれは悲しみであることをやめる(第三部定理五九により)。したがって我々が神を悲しみの原因として認識する限り、我々は喜びを感ずるのである、と。

スピノザ『エチカ』第五部 (畠中尚志訳)

 私はこの言葉を文学者が目指す世界として読む。この不思議な言葉は、優れた文学者たちによって幾度も果たされたきた。

 なぜ悲しみの原因を認識することが喜びとなるのか。原因を認めたところで、やはり目の前の悲しみに人は覆われてしまうのではないか。だが悲しみというものを、本当の姿で書くことができた時、文学者は喜びを感じるのだ。悲しみを本当に把捉した時、幸福を感じるのである。

 我々は日々、悲しみながらも、悲しみの本当の姿をほとんど捉えてはいない。悲しみに受動のままにいる。悲しみをそうして耐えるのは一つの生ではある。しかし、それがすべてではない。

 小林多喜二の文学は、貧しき人々の苦しみと悲しみを書きながら、深い歓喜が漲っている。そこにはあるのは悲しみと苦しみと怒りである。だが同時に、何処までも悲しみの深部に迫り、ついに悲しみの本当の姿に触れた多喜二の喜びがはっきりとある。読む我々にも、その喜びは強く伝わる。

 書くこと、表現することが、人間の救済になるのはそうした時であろう。そしてそれはもう、救済よりも大切な段階に向かっている。

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イェイツの文学とアイルランド

  私はナショナリストではない、ただアイルランドにおいてはさまざまな理由で差し当たりナショナリストと称しているだけなのである(「わが作品のための総括的序文」)

 晩年のイェイツはそのような言葉を残しているが、何も驚くべきことはない。イェイツの生はアイルランドにあり、イェイツの言葉はアイルランドにあった。イェイツは、アイルランドの世界に自らの文学のすべてを賭けた。だがそれはアイルランドのためではない。文学のためである。

 我々は多かれ少なかれ、生まれ来た土地に愛着を持っている。生まれ来た土地の世界を、肯定したいと願っている。見えない血脈さえ愛せるなら愛したい、とどこかで思っている。だが、そうした懐かしい、生まれた土地、故郷への愛が、あまりに芸術上の足枷になることもよく知っている。芸術を思う人間はすべて、一度は、そうした故郷への愛着に幼さを見るだろう。幼く見えるのは行過ぎた内省ではない。ほとんどが実際幼いのだ。ナショナリズムなど、何の芸術的高みを見せはしない。生まれた土地から出られなかったという閉塞の宣言である。生まれ来た土地への愛着を否定しろと言うのではない。そっと懐かしさを大事にするがいい。それは自然なことだ。自分以外の人間に強いねばよい。しかし芸術の世界に持ち込むことではない。

 イェイツは文学を書きながら、生まれ来た地、アイルランドを愛した。だがそれは生やさしい愛着などではない。アイルランド生まれの作家がアイルランドを歌うこと、何度と無くイェイツはナショナリストと呼ばれたことであろう。しかしイェイツほどの作家が、ナショナリズムの限界を知らぬわけがあるまい。イェイツはあえて、アイルランドを選んだのである。誰よりも厳格な文学の水準において。イェイツは恐らく世界で最も、アイルランドの世界に、厳しい目を向けた人間の一人であろう。自らの愛着の一切を幼い感傷として捨て去ってなお、芸術として見るべきものがあるのか、執拗に問うたはずである。

 そうしてイェイツは、熾烈な芸術の秤にかけて、なお鮮やかなアイルランドの世界を見出した。草の間に妖精の飛びかう世界に、真理への光る糸口を見出した。もはやそこに、アイルランド生まれの人間たちにとって、懐かしさをそそる優しさなどは残されていない。むしろそんなアイルランドの世界は、イェイツも知らず、誰も知らなかったのだ。

 日本において、保田與重郎が最後まで劣るのは、芸術の上で、幼い愛着を断ち切れなかったことにある。日本の世界が、万葉の世界が本当に真理に至ると思えるなら、「侘しい日本を愛する」といった言い方などする必要はない。むしろ最後まで、芸術の水準の上で「日本的なもの」を信じられなかったところに、保田の弱さがある。保田が愛していたのは、「少年の日の思い出」であり、芸術の外の「日本」である。皆に共感を訴えかけねば信じられないものだったのである。

 折口信夫はイェイツとよく似ている。彼も極めて厳正な眼で日本を見た。やがて現われたのは、誰も知らず、また誰も共感を寄せられない、かそけき水の滴りに似た日本の世界だった。そこに折口もまた、真理への路を見た。折口は保田に比べる術もなく、文学者であり、静かで強靭な芸術家である。

 我々は、文学の上で、生まれ来た土地を語っても良い。生まれ来た土地に真理への糸口を求めてもよい。だがそれは、何より厳しい姿勢を要する。故郷を捨てたと斜に構えるほうが、いくらか安い道であろう。それでもあえてイェイツのような道を行くのも、生に強さを与える。

 イェイツの名詩、

  An Irish Airman Foresees his Death

 I know that I shall meet my fate
 Somewhere among the clouds above;
 Those that I fight I do not hate,
 Those that I guard I do not love;
 My country is Kiltartan Cross,
 My countrymen Kiltartan’s poor,
 No likely end could bring them loss
 Or leave them happier than before.

 Nor law, nor duty bade me fight,
 Nor public men, nor cheering crowds,
 A lonely impulse of delight
 Drove to this tumult in the clouds;
 I balanced all, brought all to mind,
 The years to come seemed waste of breath,
 A waste of breath the years behind
 In balance with this life, this death.

 戦う者を憎んではいない。
 守る者を愛してはいない。

 かの言葉は、第一次大戦に行くアイルランド人兵士の立ち位置を描き、そしてそれ以上のものを描いている。ナショナルな眼差しで雲の中のアイルランド兵士を捉えるならば、感傷はあるが、何も強さを生みはしない。かの言葉が、あらゆる土地から生まれた、あらゆる兵士たちの、一つの瞬間の真理を捉えているからこそ、我々を深く静かにさせるのである。それが、イェイツにとってアイルランドの名であらわされるべきものであった。

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言語表現の批判力

 既存の言語表現を批判するというのは、既存の言語をただくずしてみせることではない。くずすことによって批判を喚起した、と言うのは極めて浅薄な思考であり、書き手の怠慢でしかない。批判とは、全く別種の、強力な言語表現の体系の存在をひらいてみせることである。それは一人の書き手の内で、徹底的に一貫され、緊密に構成されてなければならない。既存の言語表現があってはじめて有効になるような表現は、すぐ絶える。文学に限らず、コンセプチュアルアートのようなものは、そこに陥りやすい。批判力を持つ表現とはつねに、(体系ならざる)体系をなしていなければならない。未見の体系の存在が迫る感覚が、芸術にとって重要なのである。

 前衛詩の中で草野心平が傑出しているのはなぜか。

    おれも眠ろう

   るるり

   りりり

   るるり

   りりり

   るるり

   りりり

   るるり

   るるり

   りりり

   るるり

   るるり

   るるり

   りりり

   ――

             草野心平 『第百階級』

折口信夫と保田與重郎をわかつものは何か。

ながき夜の ねむりの後も、なほ夜なる 月おし照れり。河原菅原(カワラスガハラ)

              折口信夫 『海やまのあひだ』

室生犀星の表現の異様さとは何か。

 道綱の母のいだくところの折々の女らしい、夜半の松かぜのような嫉妬の美貌、あえぎながら自分を守る教養の怒りや奢りが、それが結局何の役にも立たないに拘らず、しかも文学の上にあらわれて来ると忽ちに黄衣をまとう、古き世の女の妖しさを浴び、たとえようのない色気をおびているのを私は眼に入れた。教養の中にある細烟にくらべられそうな肉感のねばり勁さ、その間遠い美しさ。      

              室生犀星 『かげろうの日記遺文』 あとがき

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生成の現場・臨界の場にある言葉

 小説の文学史においては、身の置き所を与えられてない犀星だが、詩の文学史においては、近代詩、すなわち口語自由詩の最初の人として、重要な位置を占めている。このことは、彼の散文を問う際、もっと深刻に考えられてよい。

  きょうもさみしくとんぼ釣り

  ひげのある身がとんぼ釣り

  このふるさとに

  飛行機がとぶという

  そのひるころのとんぼ釣り

  とんぼ釣りつつものをおもえば

  とんぼすういとのがれゆく

    室生犀星「とんぼ釣り」

 犀星の処女詩集は多大な影響力を与えた。犀星の詩によって、口語自由詩のスタイルというものが、了解されたと言う。犀星の詩の価値とは何だろう。口語。自然な言葉で、日常的な言葉で、詩が書ける。よく、そう述べられるが、犀星の詩がはらむ価値を言い尽くしてはいない。

 「とんぼ釣り」で、いちばん優れているのは「とんぼすういとのがれゆく」の箇所であるが、ここで何より鮮やかなのは「すうい」という擬態語である。実は犀星の散文においても、さかんに現われ目をひくのは、巧みな擬態語・擬音語表現と言える。そのほとんどが、ひらがなで書かれている。

 擬音語や擬態語、あるいはオノマトペ、といったものは、再考してみると、とても不思議なポジションにある。それは共同体のものである言語の中で、唯一、個々人の作家が生み出せる言葉と言ってよい。文学を書きたいと思う人は、つねに、言語表現にオリジナリティがあるのか、という問題に突き当たる。しかし、この擬態語といったものは、たしかに自分で生み出せる部分があり、その閉塞状況から抜け出している感がある。勿論、擬態語的な言葉が、個人のオリジナリティを完全に成就しているわけではない。完全にオリジナルな言葉は、もはや言語ではない。ひどく主観的な音(文字)の羅列になってしまう。オノマトペをただ主観的に駆使するだけでは、言語表現にならない。その言葉が共有され得るか、され得ないか、ぎりぎりのところにあるものが、最上の可能性をもつと言えよう。臨界の場にある言葉。

 犀星が擬態語を、ひらがなで書いていることに、彼の自覚を見て取ることができる。カタカナは異質性を際立たせ、どこか外的な音として響く。ひらがなは、既存の意味体系との連続性を志向している。しかし実際は犀星が生んだ言葉にほかならならず、完全につながりはしていない。犀星は、新しい言葉を参入させようとしていると言える。それが成功するか、しないか、その生成の勝負がつねにこころみられている。

 このような関心は、犀星だけではない。宮沢賢治や草野心平などは、その部分をより押し進めたとも言える。優れた詩人は、共同体の言語との終わりのないたたかいに入っている。

 新しい文学を考えるとき、まず「日本語」の前に躓く。百年近く経とうとしているが、犀星の試みは古びているように思えない。

 掠奪のために田にはいり

 うるうるうるうると飛び

 雲と雨とのひかりのなかを

 すばやく花巻大三叉路の

 百の碍子にもどる雀

    宮沢賢治「グランド電柱」

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